大蔵家主
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大蔵 家主(おおくら の やかぬし、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓は忌寸で、「伊美吉」とも記される[1][2][3]。官位は外従五位下・皇后宮職大属。
経歴
[編集]史料から、光明皇后に仕えたことが分かっている。天平6年(734年)8月に皇后宮職少属従八位上として。同職移に署している[4]。翌7年(735年)7月も同様に署している[1]。同10年(738年)11月には同大属・従七位上として同職牒に署し[5][3]、同11年(739年)4月にも同じ官位で大般若経奉請状に署し[6]、同年8月にも同様に同職移に署している[2]。
それからしばらく記録が途絶えるが、天平勝宝9歳(757年)聖武上皇の一周忌に、同9歳(757年)5月、食三田次・川原凡・益田縄手・土師犬養・土師弟勝・上毛野真人とともに正六位上から外従五位下に昇叙している[7]。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による
- 天平6年(734年)8月:見従八位上・皇后宮職少属(『大日本古文書』による)
- 天平7年(735年)7月:見従八位上・皇后宮職少属(『大日本古文書』による)
- 天平10年(738年)11月:見従七位上・皇后宮職大属(『大日本古文書』による)
- 天平11年(739年)4月:見従七位上・皇后宮職大属(『大日本古文書』による)。8月:見従七位上・皇后宮職大属(『大日本古文書』による)
- 時期不詳:正六位上
- 天平勝宝9歳(757年)5月20日:外従五位下