コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大蔵次官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大蔵次官(おおくらじかん)は、日本大蔵省明治維新 - 2000年平成12年)の次官。職業公務員(官僚)が昇進して到達する最高位の役職(資格任用制)である。

概要

[編集]

1886年(明治19年)に各省官制が制定され、大蔵省にも次官職が設置された。1900年(明治33年)5月に各省次官は総務長官と改称されたが、3年後の1903年(明治36年)12月に元の次官に戻された。

戦後1949年(昭和24年)、国家行政組織法の施行とともに資格任用の次官は事務次官と改称され、国会議員から任用される政務次官と、官僚から任用される事務次官の、政務・事務複数次官制となった。

歴代大蔵次官

[編集]
大蔵次官
  • 郷純造:1886年(明治19年)3月9日 - 1888年(明治21年)11月28日
  • 渡辺国武:1888年(明治21年)11月28日 - 1892年(明治25年)8月8日
  • 田尻稲次郎:1892年(明治25年)8月10日 - 1898年(明治31年)7月5日
  • 添田壽一:1898年(明治31年)7月5日 - 1898年(明治31年)11月8日
  • 田尻稲次郎:1898年(明治31年)11月8日 - 1900年(明治33年)5月20日
大蔵総務長官
  • 田尻稲次郎:1900年(明治33年)5月20日 - 1901年(明治34年)6月5日
  • 阪谷芳郎:1901年(明治34年)6月5日 - 1903年(明治36年)12月5日
大蔵次官
氏名 前職 在任期間 免官後の主な役職 備考(学歴についての記載がない場合は東京帝国大学法科大学、同大学法学部または東京大学法学部卒業)
阪谷芳郎 大蔵省総務長官 1903年(明治36年)12月05日
-1906年(昭和39年)01月08日
貴族院議員
大蔵大臣
若槻禮次郎 主税局長 1906年(明治39年)01月08日
-1907年(昭和40年)04月13日
欧州駐在財政委員
水町袈裟六 理財局長 1907年(明治40年)04月13日
-1908年(昭和41年)06月03日
英仏駐在財務官
桜井鉄太郎 専売局長 1908年(明治41年)06月03日
-1908年(昭和41年)07月17日
台湾銀行総裁 心得
若槻禮次郎 欧州駐在財政委員 1908年(明治41年)07月17日
-1911年(昭和44年)09月06日
貴族院勅選議員
橋本圭三郎 主計局長 1911年(昭和44年)09月06日
-1912年(大正元年)12月21日
帝国石油総裁
貴族院議員
勝田主計 理財局長 1912年(大正元年)12月21日
-1914年(大正3年)04月16日
帝国石油総裁
貴族院勅選議員
朝鮮銀行総裁
大蔵大臣
濱口雄幸 逓信次官 1914年(大正3年)04月16日
-1915年(大正4年)07月02日
衆議院議員
大蔵大臣
内務大臣
内閣総理大臣
立憲民政党総裁(初代)
菅原通敬 主税局長 1915年(大正4年)07月02日
-1916年(大正5年)10月09日
貴族院勅選議員
東洋拓殖総裁
勝田主計 朝鮮銀行総裁 1916年(大正5年)10月09日
-1916年(大正5年)12月16日
文部大臣 大蔵大臣
市来乙彦 主計局長 1916年(大正5年)12月16日
-1918年(大正7年)10月02日
貴族院勅選議員
大蔵大臣
日本銀行総裁
東京市長
参議院議員
神野勝之助 理財局長 1918年(大正7年)10月02日
-1922年(大正11年)06月14日
貴族院勅選議員
教育評議会委員
西野元 主計局長 1922年(大正11年)06月14日
-1924年(大正13年)06月11日
貴族院勅選議員
十五銀行頭取
日本勧業銀行総裁
小野義一 理財局長 1924年(大正13年)06月11日
-1924年(大正13年)08月12日
東京市助役
拓殖大学教授
衆議院議員(政治任用
田昌 主計局長 1924年(大正13年)08月12日
-1927年(昭和2年)04月22日
衆議院議員
大蔵政務次官
立憲民政党政務調査会長
黒田英雄 主税局長 1927年(昭和2年)04月22日
-1929年(昭和4年)07月04日
大東京鉄道社長
河田烈 主計局長 1929年(昭和4年)07月04日
-1931年(昭和6年)12月14日
拓務次官
内閣書記官長
貴族院勅選議員
東亜通運社長
台湾拓殖社長
大成火災海上社長
黒田英雄 大東京鉄道社長 1931年(昭和6年)12月14日
-1934年(昭和9年)05月21日
貴族院勅選議員
鉄道会議議員
参議院議員
参議院財政及び金融委員長
参議院仮議長
東洋海上火災保険社長
藤井真信 主計局長 1934年(昭和9年)05月21日
-1934年(昭和9年)07月10日
大蔵次官
津島壽一 理財局長 1934年(昭和9年)07月10日
-1936年(昭和11年)03月13日
日本銀行副総裁
北支那開発銀行総裁
貴族院勅選議員
大蔵大臣
参議院議員
防衛庁長官
川越丈雄 対満事務局次長 1936年(昭和11年)03月13日
-1937年(昭和12年)02月02日
法制局長官
庶民金庫理事長
東北興業総裁
平和相互銀行社長
同行会長
賀屋興宣 理財局長 1937年(昭和12年)02月02日
-1937年(昭和12年)06月05日
大蔵大臣
貴族院勅選議員
産業計画会議委員
衆議院議員
自民党政務調査会長
法務大臣
石渡荘太郎 主税局長 1937年(昭和12年)06月05日
-1939年(昭和14年)01月06日
大蔵大臣
貴族院勅選議員
宮内大臣
内閣書記官長
大野龍太 理財局長 1939年(昭和14年)01月06日
-1940年(昭和15年)07月22日
戦時金融金庫副総裁
同金庫総裁
広瀬豊作 預金部資金局長 1940年(昭和15年)07月22日
-1941年(昭和16年)07月25日
南方軍軍政顧問
大蔵大臣
日野ヂーゼル工業会長
前田育徳会理事長
谷口恒二 預金部長官 1941年(昭和16年)07月25日
-1944年(昭和19年)03月24日
日本銀行副総裁 預金部長官
1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲にて戦災死
松隈秀雄 主税局長 1944年(昭和19年)03月24日
- 1945年(昭和20年)02月23日
東洋拓殖副総裁
日本専売公社総裁
国民生活研究所会長
田中豊 主税局長 1945年(昭和20年)02月23日
- 1945年(昭和20年)04月13日
日本勧業銀行副総裁
宝酒造社長
山際正道 総務局長 1945年(昭和20年)04月13日
- 1946年(昭和21年)01月30日
日本輸出入銀行総裁
日本銀行総裁
東京帝大経済
  • 山田義見:1946年(昭和21年)1月30日 - 1947年(昭和22年)2月6日
  • 池田勇人:1947年(昭和22年)2月6日 - 1948年(昭和23年)3月11日
  • 野田卯一:1948年(昭和23年)3月11日 - 1949年(昭和24年)2月18日
  • 長沼弘毅:1949年(昭和24年)2月18日 - 1949年(昭和24年)6月1日(大蔵事務次官に名称変更)

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]