大覚寺古墳群
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大覚寺古墳群(だいかくじこふんぐん)は、京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町・嵯峨大沢柳井手町・嵯峨大覚寺門前堂ノ前町にある古墳群。2基が宮内庁により陵墓参考地に治定されている。
概要
[編集]京都盆地(山城盆地)西部の有栖川扇状地に築造された古墳群である。円墳3基(1・3・4号墳)・方墳1基(2号墳)の古墳4基から構成される。いずれもこれまでに発掘調査が実施されている。
古墳群のうち最大規模の古墳は1号墳(円山古墳)で、直径50メートルの大型円墳である。埋葬施設は全長14.7メートルにおよぶ大型の両袖式横穴式石室であり(現在は閉塞)、石室内からは竜山石製の組合式家形石棺2基のほか、装飾付大刀・耳環・馬具・須恵器・土師器などの副葬品が検出されている。2号墳(入道塚古墳)・3号墳(南天塚古墳)・4号墳(狐塚古墳)は中規模の円墳または方墳で、いずれも埋葬施設は両袖式横穴式石室である。2・3号墳の石室内では、竜山石製の家形石棺片や装飾付須恵器が検出されており、特に3号墳では新羅土器が出土した点で注目される。
営造時期は、古墳時代後期-終末期の6世紀後半-7世紀前半頃と推定され、1号墳(円山古墳)→3号墳(南天塚古墳)→4号墳(狐塚古墳)・2号墳(入道塚古墳)の築造順と見られる[1]。嵯峨野地域では代表的な後期古墳群の1つであり、蛇塚古墳などの周辺の古墳と合わせて、古代の太秦・嵯峨野地域を考察するうえで重要視される古墳群になる。
遺跡歴
[編集]- 1899年(明治32年)、宮内省(現・宮内庁)により1・2号墳が陵墓参考地に治定[2]。
- 1951年(昭和26年)、1号墳の石室発掘調査(小林行雄ら、2001年に報告)[3]。
- 1958年(昭和33年)、2号墳の石室発掘調査(小林行雄ら、2001年に報告)[3]。
- 1970年(昭和45年)、4号墳の墳丘測量・石室実測調査(京都大学考古学研究室、1971年に報告)。
- 1975年(昭和50年)、京都府立北嵯峨高等学校建設に伴う1・2・3号墳の発掘調査(京都府教育委員会、1976年に報告)。
- 2014年-2016年・2018年度(平成26-28・30年度)、4号墳の墳丘測量・発掘調査(龍谷大学文学部考古学研究室、2016・2017・2018・2020年に報告)。
- 2020年度(令和2年度)、4号墳の周辺試掘調査(京都市文化財保護課、2022年に報告)[4]。
一覧
[編集]古墳名 | 形状 | 規模 | 埋葬施設 | 石室規模 | 出土品 | 築造時期 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1号墳 (円山古墳) |
円墳 | 直径50m | 両袖式横穴式石室 (内部に組合式家形石棺2基) |
14.7m | 装飾付大刀・耳環・馬具・須恵器・土師器 | 6世紀後半 | 宮内庁治定「円山陵墓参考地」 1951年石室発掘調査 1975年周濠発掘調査 |
2号墳 (入道塚古墳) |
方墳 | 25m×30m | 両袖式横穴式石室 (内部に組合式家形石棺) |
推定11m | 須恵器(装飾付須恵器含む) | 7世紀初頭-前半 | 宮内庁治定「入道塚陵墓参考地」 1958年石室発掘調査 1975年周濠発掘調査 |
3号墳 (南天塚古墳) |
円墳 | 両袖式横穴式石室 (内部に組合式家形石棺) |
残存長8.1m | 金環・須恵器(装飾付須恵器含む)・新羅土器 | 6世紀後半-末 | 現在は埋没 1975年発掘調査 | |
4号墳 (狐塚古墳) |
円墳 | 直径28m | 両袖式横穴式石室 | 残存長6.8m | 須恵器 | 7世紀初頭-前半 | 1970年墳丘測量・石室実測調査(第1次調査) 2014-2018年度墳丘測量・発掘調査(第2-5次調査) 2020年度周辺試掘調査 |
-
1号墳(円山古墳、円山陵墓参考地)
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2号墳(入道塚古墳、入道塚陵墓参考地)
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4号墳(狐塚古墳)
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3号墳(南天塚古墳)出土 新羅土器 壺
京都市考古資料館企画展示時に撮影。
脚注
[編集]- ^ a b 花熊祐基 2016.
- ^ 外池昇「円山陵墓参考地」『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』吉川弘文館、2005年。
- ^ a b c 書陵部紀要 第53号 2001.
- ^ 京都市内遺跡試掘調査報告 2022.
- ^ 埋蔵文化財発掘調査概報 1976.
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 宮内庁発行
- 小林行雄「円山陵墓参考地・入道塚陵墓参考地調査報告 (PDF)」『書陵部紀要 第53号』宮内庁書陵部、2001年。 - リンクは宮内庁「書陵部所蔵資料目録・画像公開システム」。
- 地方自治体発行
- 「大覚寺古墳群発掘調査概要」『埋蔵文化財発掘調査概報(1976)』京都府教育委員会、1976年。
- 「大覚寺古墳群」『京都市内遺跡試掘調査報告 令和3年度』京都市文化市民局、2022年。
- 事典類
- 丸川義広「大覚寺古墳群」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- 『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』平凡社、1979年。ISBN 978-4-582-49027-5。
- 「円山塚」、「入道塚古墳」。
- その他
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 京都大学考古学研究会 編「各古墳の概要 > 丸山古墳、入道塚古墳、狐塚古墳」『嵯峨野の古墳時代 -御堂ヶ池群集墳発掘調査報告-』京大考古学研究会出版事務局、1971年。
- 京都市 編「古墳時代 > 右京区」『史料京都の歴史 第2巻 考古』平凡社、1983年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、大覚寺古墳群に関するカテゴリがあります。