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大越亨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大越 亨(おおごし とおる、1844年天保15年9月[1] - 1896年明治29年)1月11日[2])は、幕末相馬中村藩士、明治期の内務官僚。官選滋賀県知事。幼名・慎八郎[3]

経歴

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陸奥国宇多郡中村(現福島県相馬市中村)[3]で、相馬中村藩士の家に生まれた[1]戊辰戦争では単独で尊王を東北地方で説き、東征大総督府参謀の先鋒軍使を務めた[4]

明治3年4月1870年5月)、中村藩権少参事軍事局事務取扱に就任し、さらに同藩大属となる[3]

廃藩置県後の明治5年3月1872年)、十一等出仕となる。同年4月新治県権大属に就任。以後、同大属、茨城県権大属、同大属、同一等属、内務省御用掛、内務三等属、石川県八等出仕、同一等属、同少書記官、内務省権少書記官、徳島県大書記官、熊本県大書記官、同書記官、山梨県書記官などを歴任し、1890年10月、長崎県書記官に就任[3]

1891年6月、滋賀県知事に就任。同年12月、県会において県庁を大津から彦根に移転することを可決したが、大越知事がそれを取消して県会中止を命じた。しかし県会の収拾がつかず、内務大臣が県会の解散を命ずる事態となった。また、瀬田川浚渫工事を大阪の反対を退けて着工し、厳寒の中で陣頭指揮を行った結果、体調を崩し1896年1月に病のため在任中に死去した[1]

死後

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1905年、瀬田川浚渫についての功績を讃え、石山寺境内に記念碑が建立された[5]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』631頁。
  2. ^ 『官報』第3760号、明治29年1月14日。
  3. ^ a b c d 『地方長官人物評』76頁。
  4. ^ 『明治過去帳』482頁。
  5. ^ 竹林 & 今井 1995, p. 413.
  6. ^ 『官報』第2399号「叙任及辞令」1891年6月30日。
  7. ^ 『官報』第3759号「叙任及辞令」1896年1月13日。
  8. ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。
  9. ^ 『官報』第2703号「叙任及辞令」1892年7月2日。
  10. ^ 『官報』第3152号「叙任及辞令」1893年12月29日。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 大岡力『地方長官人物評』長島為一郎、1892年。
  • 竹林征三、今井範雄「琵琶湖の歴史洪水と瀬田川浚渫についての土木史的研究」『土木史研究』第15号、土木学会、1995年、409-423頁、doi:10.2208/journalhs1990.15.409ISSN 0916-7293NAID 130004038270