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平敏孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平 敏孝(たいら としたか、1893年明治26年)9月[1] - 1969年昭和44年)11月25日[2])は、大正後期から昭和前期の内務警察官僚。官選県知事

経歴

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鹿児島県出身。平義光の三男として生まれた[1]。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て第一高等学校を卒業[3]1917年(大正6年)10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。逓信省に入省し管船局属となる。その後、内務省に転じた[1][4]

1919年(大正8年)警視庁警視となる。以後、警視庁保安部保安課長、谷中警察署長、外神田警察署長、群馬県内務部地方課長、同学務課長、帝都復興院及び復興局経理部倉庫課長兼購買課長、岡山県学務部長、千葉県学務部長などを歴任。1930年(昭和5年)欧米各国へ出張。1931年6月、山梨県書記官警察部長に就任。以後、千葉県書記官・警察部長、奈良県書記官・内務部長、福岡県書記官・総務部長を歴任[1][5]

1936年(昭和11年)9月24日、滋賀県知事に就任。県庁舎の改築を推進し、戦時下の緊縮財政を実施した[6]1940年(昭和15年)4月9日、長崎県知事に転任。戦時緊縮財政を継続した[5]1942年(昭和17年)6月15日、依願免本官となり退官した[7]

戦後、公職追放となった[4]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 第11版 下』タ122頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、263頁。
  3. ^ 『第一高等学校一覧 自大正3年至4年』第一高等学校、1914年、117頁。
  4. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』219頁。
  5. ^ a b 『新編日本の歴代知事』1026頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』641頁。
  7. ^ 『官報』第4628号、昭和17年6月16日。
  8. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。