大阪府女子専門学校 (旧制)
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大阪府女子専門学校 (大阪府女専) | |
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創立 | 1924年 |
所在地 | 大阪府大阪市住吉区 |
初代校長 | 瀧村斐男 |
廃止 | 1951年 |
後身校 | 大阪女子大学 (大阪府立大学を経て 現 大阪公立大学) |
同窓会 | 斐文会 |
大阪府女子専門学校 (おおさかふじょしせんもんがっこう) は、1924年 (大正13年) 2月に設立された公立の旧制専門学校。
概要
[編集]日本の公立では福岡県立に次ぐ、2番目の女子専門学校として設立された。創立時は 4年制 (本科3年、予科1年) で、本科に国文学科・英文学科・家政理学科を設置した 。後に予科を廃止、研究科・専攻科を設置した。
第二次世界大戦後、学制改革により新制大阪女子大学に昇格した (大阪府立大学を経て、現 大阪公立大学)。同窓会は 「斐文会」 (ひぶんかい) と称し、新制大阪女子大学出身者と合同の会である。
沿革
[編集]- 1923年6月8日: 山田市郎兵衛から大阪府に対し、女子専門学校用地 2000坪と 35万円の寄付の申し出。
- 1923年6月16日: 臨時府議会、女子専門学校設置案可決。
- 1924年2月2日: 文部省により大阪府女子専門学校設立認可。
- 1924年2月21日: 大阪府、女子専門学校の開設を発表 (大阪府告示第43号)。
- 1924年4月14日: 第1回入学式。翌 15日、授業開始。6月15日、開校式。
- 本科 (修業年限3年、国文学科・英文学科・家政理学科) および予科 (修業年限1年) を設置。
- 本科の入学資格: 予科修了者・5年制高等女学校卒業者。
- 予科の入学資格: 4年制高等女学校卒業者。
- 1927年4月: 研究科 (修業年限1年) を開設。
- 1927年10月: 校歌制定 『われらわれらつどへる友』 (平林治徳・風巻景次郎 作詞、信時潔 作曲)。
- 1928年3月: 第1回卒業。
- 1928年4月: 専攻科を開設 (認可は5月。修業年限1年、物理・化学・数学課程)。
- 1934年4月: 大阪府立全高等女学校の 5年制化完了に伴い、予科を廃止。
- 1941年12月: 修業年限の戦時短縮に伴い、繰上卒業。
- 以後、1942年・1943年は 9月卒業、1944年は 8月卒業。
- 1944年4月: 本科学科を国語科・経済科・保健科・物理化学科に改組。
- 従来の学科は1945年3月廃止。
- 1946年4月: 英語科を設置。
- 1947年9月: 新制大阪女子大学創立案を大阪府に提出。
- 1948年6月: 大阪府、新制大学設置準備委員会設置。
- 1948年7月30日: 府立大阪女子大学設置認可申請書を文部省に提出。
- 1949年2月21日: 文部大臣より新制大阪女子大学設立認可 (校学第129号)。
- 1949年4月: 新制大阪女子大学発足 (大阪府女専の大学昇格)。
- 1951年4月1日: 旧制大阪府女子専門学校廃止。
- 3月23日、大阪府立の旧制専門学校 5校合同の閉校式を開催。
歴代校長
[編集]- 校長事務取扱: 瀧村斐文 (1924年2月 - 1924年4月)
- 初代: 瀧村斐文 (1924年4月 - 1927年12月20日死去)
- 校長事務取扱: 平林治徳 (1927年12月 - 1928年2月)
- 第2代: 平林治徳 (1928年2月 - 1951年3月)
著名な出身者
[編集]校地
[編集]創立当初は大阪府立阿倍野高等女学校 (現大阪府立阿倍野高等学校) を仮校舎として使用。翌1925年(大正14年)4月、山田市郎兵衛から寄付された東成郡住吉村帝塚山 (現大阪市住吉区帝塚山東2丁目) の土地に校舎が完成し移転した (帝塚山校地)。1920年・1927年に山田家から隣接地を借り受け校地を拡大 (戦後買収)。廃止まで同地を使用した。
後身校、大阪女子大学は帝塚山校地で発足したが、1976年(昭和51年)9月、大仙校地 (堺市大仙町) へ移転完了 (大仙校地は大阪府立大学への統合に伴い廃止)。旧帝塚山校地は、大阪府立看護短期大学、大阪府警住吉警察署仮庁舎を経て、1998年(平成10年)から大阪府立貿易専門学校が使用していたが、2004年(平成16年)廃止。旧図書館は大阪府公文書館として使用されている。残りの敷地にはケアハウス等が建設されている。
関連事項
[編集]関連書籍
[編集]- 70年史編集委員会(編) 『大阪女子大学70年の歩み』 大阪女子大学、1994年11月。
外部リンク
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