太陽への旅路
『太陽への旅路』 | |||||
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スティルス=ヤング・バンド の スタジオ・アルバム | |||||
リリース | |||||
録音 |
1976年2月16日 – 6月7日 クライテリア・スタジオ(フロリダ州マイアミ) | ||||
時間 | |||||
レーベル | リプリーズ・レコード | ||||
プロデュース | |||||
スティーヴン・スティルス アルバム 年表 | |||||
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ニール・ヤング 年表 | |||||
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専門評論家によるレビュー | |
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レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
Allmusic | [1] |
Christgau's Record Guide | B[2] |
『太陽への旅路』(Long May You Run)はスティーヴン・スティルスとニール・ヤングによるスティルス=ヤング・バンド名義のスタジオ・アルバムで、1976年にリプリーズ・レコードから発売された。Billboard 200チャートで26位を記録し、アメリカレコード協会によってアメリカ合衆国でゴールドディスクに認定された。このアルバムはスティルスとヤングのコンビでの唯一のスタジオ・アルバムとなっている。
背景
[編集]クロスビー、スティル、ナッシュ&ヤングの1974年のスタジアムツアーの後、カルテットによる新しいアルバムを仕上げる試みは険悪な雰囲気のまま結果を伴わずに終了した。デヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュはパートナーシップを再開し、スティルスとヤングはそれぞれのソロのキャリアを継続した。中断されたCSNYのアルバムからの楽曲はグループメンバーによる複数のアルバムに採用され、スティルスは自身のスタジオ・アルバム『スティルス』に「ニュー・ママ」を、『イリーガル・スティルス』に「ローナー」を収録した。
1976年前半にスティルスとヤングは和解に達し、10年前に結成したバッファロー・スプリングフィールド時代のギターの探求を再開したいという二人の願望から、共同アルバムのプロジェクトを開始した。クロスビーとナッシュも参加し、一時は待望されていたCSNYの再結成アルバムになるかと思われた。しかしながら、ナッシュとクロスビーは自分達の1976年のアルバム『ホイッスリング・ダウン・ザ・ワイヤー』のセッションを完了するための期限のためにマイアミを離れ、ヤングとスティルスはこれに反発してマスターテープから二人のボーカルその他を削除した[3]。クロスビーとナッシュは二度とヤングともスティルスとも仕事をしないと誓ったが、1年も経たないうちにアルバム『CSN』のためにグループを再結成した。
スティルスの当時から現在のツアーバンドを含むスティルス=ヤング・バンドは、アルバムのリリースに先立つ1976年にツアーを開始した。ツアーは6月23日にミシガン州クラークストンで始まりましたが、19回の日程の後でヤングは7月20日にスティルスへの電報で降板し、スティルスは10月までソロでコンサートツアーを行うことを余儀なくされました[4]。電報には次のように書かれていた:「親愛なるスティーヴン、自然に始まった物事がそのように終わるのは面白い。桃を食べろ。ニール」。ヤングは後に、彼の脱退の不可解な個人的な理由として「声の問題」があったことを挙げたが、それ以来、ツアーは「機能していなかった」、「何らかの形でバランスが崩れていた」と述べている。ツアー中、評論は "Young Hot、Stills Not" というタイトルでヤングを称賛しながら、スティルスに厳しいレビューを書いていた。スティルスは大酒を飲み始め、ツアースタッフがわざと自分を悪く見えるようにしているのではないかと不満をぶつけるようになった。しかし、ヤングがスティルスにレビューを読まないように言った後でも、彼はアドバイスを受け入れず、ヤングは去っていった[5]。
アルバムの先行シングル「太陽への旅路」は全英シングルチャートで71位を記録した[6]。この曲は、ニール・ヤングの最初の車(ヤングは「モート」と呼んでいた[7])のエレジーであり、この車は1962年にオンタリオ州ブラインド・リバーでトランスミッションが故障して廃車になった1948年製ビュイック・ロードマスターの霊柩車である[6]。モートは、モート2と呼ばれる1953年製ポンティアックの霊柩車とは別の車両であり、スティルスと一緒に旅行していたリッチー・フューレイは、ヤングが1966年にハリウッドの交通渋滞の中を運転しているのを目撃し、それがバッファロー・スプリングフィールドの結成に結びついた[8]。2010年1月22日に、ヤングはザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・コナン・オブライエンの最終回で "Long May You Run" を演奏した[9]。数週間後、ヤングはバンクーバーで開催された2010年バンクーバー冬季オリンピックの閉会式で、オリンピック聖火の消灯に合わせてこの曲を演奏した[10]。
収録曲
[編集]サイド1
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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1. | 「太陽への旅路 - Long May You Run」 | ニール・ヤング | |
2. | 「メイク・ラヴ・トゥ・ユー - Make Love to You」 | スティーヴン・スティルス | |
3. | 「ミッドナイト・オン・ザ・ベイ - Midnight on the Bay」 | ニール・ヤング | |
4. | 「黒いサンゴ - Black Coral」 | スティーヴン・スティルス | |
5. | 「オーシャン・ガール - Ocean Girl」 | ニール・ヤング |
サイド2
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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1. | 「レット・イット・シャイン - Let It Shine」 | ニール・ヤング | |
2. | 「12/8ブルース - 12/8 Blues (All the Same)」 | スティーヴン・スティルス | |
3. | 「フォンテンブロー - Fontainebleau」 | ニール・ヤング | |
4. | 「ガーディアン・エンジェル - Guardian Angel」 | スティーヴン・スティルス | |
合計時間: |
参加ミュージシャン
[編集]- スティーヴン・スティルス – ボーカル・アコースティックピアノ、ギター
- ニール・ヤング – ボーカル、アコースティックピアノ、ストリングアンサンブル、ギター、ハーモニカ
追加ミュージシャン
- ジェリー・アイエロ – オルガン、アコースティックピアノ
- ジョージ・"チョコレート"・ペリー – ベース、バックボーカル
- ジョー・ヴィターレ – ドラムス、フルート、バックボーカル
- ジョー・ララ – パーカッション、バックボーカル
製作
[編集]- スティーヴン・スティルス – プロデューサー、ミキシング
- ニール・ヤング – プロデューサー、ミキシング
- ドン・ゲーマン – プロデューサー、レコーディング、ミキシング
- トム・ダウド – 共同プロデューサー
- スティーヴ・ハート – レコーディング助手
- マイケル・ラスコ – レコーディング助手
- アレックス・サドキン – ミキシング
- トム・ウィルクス – アルバムデザイン
チャート
[編集]
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認定
[編集]国/地域 | 認定 | 認定/売上数 |
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イギリス (BPI)[22] | Silver | 60,000^ |
アメリカ合衆国 (RIAA)[23] | Gold | 500,000^ |
^ 認定のみに基づく出荷枚数 |
ツアー
[編集]1976年北米ツアー | ||||
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スティルス=ヤング・バンド の ツアー | ||||
初日 | 1976年6月23日 | |||
最終日 | 1976年7月20日 | |||
公演数 | 22回(44回計画) | |||
スティルス=ヤング・バンド ツアー 年表 | ||||
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ツアー[24] | |||||
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日程 | 都市 | 国 | 会場 | チケット | 売上 |
1976年6月23日 | クラークストン | アメリカ合衆国 | Pine Knob Music Theatre | 売切れ | $138,995 |
1976年6月24日 | |||||
1976年6月26日 | ボストン | ボストン・ガーデン | 15,550/15,550 | $127,000 | |
1976年6月27日 | スプリングフィールド | シヴィック・センター | 10,000 | $70,000 | |
1976年6月29日 | フィラデルフィア | ザ・スペクトラム | 18,500/18,500 | $125,980 | |
1976年7月1日 | ユニオンデール | ナッソー・コロシアム | |||
1976年7月2日 | |||||
1976年7月4日 | ナイアガラ・フォールズ | コンヴェンション・センター | 9,000 | $54,000 | |
1976年7月5日 | ロチェスター | Community War Memorial Auditorium | 9,000/11,000 | $60,071 | |
1976年7月7日 | プロヴィデンス | Providence Civic Centre | 18,781 | $140,684 | |
1976年7月9日 | ランドーヴァー | Capital Centre | |||
1976年7月10日 | |||||
1976年7月11日 | ハートフォード | Colt Park | $167,000 | ||
1976年7月13日 | リッチフィールド | Richfield Coliseum | 14,815/19,276 | $97,452 | |
1976年7月14日 | シンシナティ | Riverfront Coliseum | 16,960/16,960 | ||
1976年7月15日 | ピッツバーグ | しヴィック・アリーナ | 17,334/17,334 | $117,371 | |
1976年7月17日 | グリーンズボロ | グリーンズボロ・コロシアム | 10,743 | $83,785 | |
1976年7月18日 | シャーロット | Charlotte Coliseum | |||
1976年7月20日 | コロンビア | Carolina Coliseum | 9,892 | $65,128 | |
1976年7月23日 | ジャクソンビル | Civic Auditorium | |||
1976年7月24日 | マイアミ | マイアミ球場 | 12,231/22,000 | $101,928 | |
1976年7月25日 | レークランド | Lakeland Civic Center | 9,000 | $71,000 | |
カナダ | |||||
アメリカ合衆国 | |||||
カナダ | |||||
- ジェリー・アイエロ – オルガン
- クリス・ヒルマン – ギター、ボーカル(ヤングが離脱後の2公演)
- ジョー・ララ – パーカッション
- ジョージ・"チョコレート"・ペリー – ベースギター
- スティーヴン・スティルス – ボーカル、ギター、ピアノ
- ジョー・ヴィターレ – ドラムス
- ニール・ヤング – ボーカル、ギター、ピアノ、ハーモニカ
セットリスト
1976年6月26日のボストン・ガーデン公演のセットリスト[27]
- 「愛への讃歌」"Love the One You're With"(スティルス)
- 「ローナー」"The Loner"(ヤング)
- 「太陽への旅路」"Long May You Run"(ヤング)
- 「フォー・ホワット・イッツ・ワース」"For What It's Worth"(スティルス)
- 「ヘルプレス」"Helpless"(ヤング)
- 「ブラック・クイーン」"Black Queen"(スティルス)
- 「サザン・マン」"Southern Man"(ヤング)
- 「オン・ザ・ウェイ・ホーム」"On the Way Home"(ヤング)
- 「チェンジ・パートナーズ」"Change Partners"(スティルス)
- 「トゥー・ファー・ゴーン」"Too Far Gone"(ヤング)
- "4+20"(スティルス)
- 「ワードゲーム」"Word Game"(スティルス)
- 「バイイン・タイム」"Buyin' Time"(スティルス)
- 「イヴニング・ココナッツ」"Evening Coconut"(ヤング)
- 「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」"Make Love to You"(スティルス)
- 「カウガール・イン・ザ・サンド」"Cowgirl in the Sand"(ヤング)
- 「ザ・トレジャー」"The Treasure"(スティルス)
- 「組曲: 青い眼のジュディ」"Suite: Judy Blue Eyes"(スティルス)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Ruhlmann, W.. “Long May You Run – Stephen Stills | AllMusic”. allmusic.com. 26 July 2011閲覧。
- ^ Christgau, Robert (1981). “Consumer Guide '70s: S”. en:Christgau's Record Guide: Rock Albums of the Seventies. Ticknor & Fields. ISBN 089919026X March 13, 2019閲覧。
- ^ Zimmer, Dave, and Diltz, Henry. Crosby Stills & Nash: The Authorized Biography, St. Martin’s Press, 1984. ISBN 0-312-17660-0, p. 185.
- ^ Matthias Butterweck. “Numbers On The Site – The Neil Young Tour statistics”. Butterweck.de. 8 August 2018閲覧。
- ^ “Stills & Young Tour – Rolling Stone 1976 – The Uncool - The Official Site for Everything Cameron Crowe” (英語). 2020年3月17日閲覧。
- ^ a b “Long May You Run by Neil Young Songfacts”. Songfacts.com. 8 August 2018閲覧。
- ^ Shakey: Neil Young's Biography; Jimmy Mcdonough, Random House; First Edition (May 7, 2002) p. 104
- ^ Shakey: Neil Young's Biography; Jimmy Mcdonough, Random House; First Edition (May 7, 2002) p. 146
- ^ Carter, Bill (2010) (英語). The War for Late Night: When Leno Went Early and Television Went Crazy. Penguin. p. 342. ISBN 978-1-101-44342-2 19 April 2020閲覧。
- ^ Kines, Lindsay (March 1, 2010). “"These Games have lifted us up," Furlong tells Olympians”. The Montreal Gazette. 4 October 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。1 March 2010閲覧。
- ^ Kent, David (1993). Australian Chart Book 1970–1992 (illustrated ed.). St Ives, N.S.W.: Australian Chart Book. p. 295. ISBN 0-646-11917-6
- ^ “Stephen Stills”. Billboard. 2020年7月5日閲覧。
- ^ “STEPHEN STILLS | full Official Chart History | Official Charts Company”. www.officialcharts.com. 2020年7月5日閲覧。
- ^ Canada, Library and Archives (2013年4月16日). “The RPM story”. www.bac-lac.gc.ca. 2020年7月5日閲覧。
- ^ “norwegiancharts.com - Norwegian charts portal”. norwegiancharts.com. 2020年6月21日閲覧。
- ^ a b Hung, Steffen. “The Stills-Young Band - Long May You Run”. hitparade.ch. 2020年6月21日閲覧。
- ^ “CASH BOX MAGAZINE: Music and coin machine magazine 1942 to 1996”. worldradiohistory.com. 2020年7月5日閲覧。
- ^ “RECORD WORLD MAGAZINE: 1942 to 1982”. worldradiohistory.com. 2020年7月5日閲覧。
- ^ “Record World 18 September 1976”. 2022年8月30日閲覧。
- ^ Hung, Steffen. “The Stills-Young Band - Long May You Run”. hitparade.ch. 2020年11月24日閲覧。
- ^ “Neil Young”. Billboard. 2021年4月3日閲覧。
- ^ "British album certifications – Stills/Young Band – Long May You Run". British Phonographic Industry. 2022年8月30日閲覧。 Select albums in the Format field. Select Silver in the Certification field. Type Long May You Run in the "Search BPI Awards" field and then press Enter.
- ^ "American album certifications – Stills/Young Band – Long May You Run". Recording Industry Association of America. 2016年6月9日閲覧。
- ^ “Neil Young” (英語). sugarmtn.org. 2020年9月22日閲覧。
- ^ Roberts, David (2016). Stephen Stills: Change Partners
- ^ “Neil Young News: Drummer Joe Vitale on His 50-Year Saga w/ Crosby, Stills, and Nash, Buffalo Springfield, & Stills-Young Band | Rolling Stone” (英語). 2020年9月22日閲覧。
- ^ “Neil Young” (英語). sugarmtn.org. 2020年9月22日閲覧。
外部リンク
[編集]- Long May You Run at Myspace (streamed copy where licensed)
- Article about Neil Young's 1948 Buick Roadmaster Hearse, with Photos