宅磨派
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宅磨派(たくまは)とは、平安時代後期から南北朝時代まで続いた絵師・絵仏師の流派で巨勢派と併称される。絵仏師としては鎌倉時代初期の宅間勝賀が平安仏画様式から肥痩抑揚線を特色とする宋画風の仏画を確立して詫磨栄賀まで続いた。また、勝賀の弟詫摩為久が鎌倉で作画し、後の澤間長祐を中心とした関東詫磨派もある。宅間、詫磨、詫摩、詫麻、琢摩、琢磨、澤間、多倶摩とも記す。藤原氏。
概要
[編集]流祖と画風
[編集]絵仏師宅磨派の流祖には数説がある。
- 端麗な平安仏画様式の絵師で近衛天皇(在位1142年-1155年)に仕えた豊前守託摩為遠の説が1679年開版の狩野永納の『本朝画史』以来続いている[書影 1](p.2)。
- 為遠の長男勝賀の宋画様式の仏画(例:教王護国寺《十二天像》[作品画像 1])により画派の特徴として伝承され、勝賀を祖とする説もある[書誌 1]。
- 『古画備考』を著した朝岡興禎は、為遠の父で平等院鳳凰堂扉絵の作者とされる宅磨為成を祖とする説をとる[書影 2](近代デジタルライブラリー所収31コマ32)。
- 『古画備考』の宅磨氏にある為氏を氏祖とする説もある[書誌 2]。
京都で活躍した絵仏師には勝賀の後、主に以下の絵仏師がいる。
- 恵日房成忍は明恵上人(1173年-1232年)の弟子で国宝《紙本著色明恵上人像》[作品画像 2]を描いたと記される[書影 2](コマ37)。
- 宅磨俊賀は建仁3年、明恵上人に従い《春日明神・住吉明神像》を図絵した[作品画像 3]。
- 宅磨良賀は建保2年1214年、藤原光親の奏聞で當麻寺曼荼羅を復元模写した[書影 3](コマ12)。
- 宅磨長賀は建長5年(1213年)、法勝寺阿弥陀堂供養で賞を賜った(作画例:《矜羯羅童子》フリーア美術館蔵[作品画像 4])。
- 詫磨栄賀は『古画備考』で「勝賀の裔、、、中華の筆法」と評された[書影 2](コマ38)(作画例:[解説全文 1])。
関東宅磨派
[編集]- 為久が寿永3年(1184年)に鎌倉へ下向し《正観音像図絵》を描き帰洛、文治元年(1231年)8月に再度下向した[書影 4]。
- 宅磨為行が寛喜3年(1231年)10月に藤原頼経の命で御願寺の地相を描いた記録[書影 5]がある。
- 絵所澤間式部法橋長祐が貞和6年(1350年)に称名寺三千仏絵を描き[解説全文 2]定住している。
- 絵所詫磨浄宏が至徳3年(1386年に法光寺(現飯能市)に地蔵菩薩像を彩色している)(平田寛(1994, p.179)[書誌 3]。
系譜
[編集]- 系譜はいくつか作成されている。ここでは為遠以前を瀬木慎一前掲書[書誌 2]から、為遠からは藤元裕二『詫磨派の研究』[書影 6]を参照し、血縁師弟は実線で、不詳は点線で示した。また、太田亮編『姓氏家系大辞典』や常石英明編『書画骨董人名大辞典』にある宅磨系図は藤元の典拠p15を参照されたい。
- 宅磨派系譜
宅磨為氏 | 為成 | 為遠 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
勝賀 (為基) | 良賀 | 長賀 | 栄賀 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
俊賀 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
為辰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
為久 | 為行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]作品画像
[編集]- ^ “東寺2014秋期特別公開”. 教王護国寺 (2014年9月20日). 2015年2月25日閲覧。
- ^ 宅磨為成. “明恵上人像”. 高山寺. 2015年3月1日閲覧。
- ^ “高山寺国宝・重要文化財”. 高山寺. 2015年2月28日閲覧。
- ^ “Kongara-doji”. Freer/Sackler : the Smisonians Museum of Asian Art. 2015年2月25日閲覧。l
書影
[編集]- ^ 笠井昌昭「訳注 本朝画史-2- (〔同志社大学〕創立100周年記念号)」『文化学年報』第25号、同志社大学文化学会、1976年3月、1-62頁、ISSN 02881322、NAID 40003381977。
笠井昌昭「訳注 本朝画史(三)」『人文學』第129巻、同志社大学人文学会、1976年12月、1-58頁、doi:10.14988/pa.2017.0000002869、ISSN 0447-7340、NAID 120005630683、2022年5月31日閲覧。 - ^ a b c 朝岡興禎編『古画備考』巻32NDLJP:2591617
- ^ 立禅述 : 陳阿記『当麻曼荼羅捜玄疏聴書』巻NDLJP:822129
- ^ 『吾妻鏡:吉川本』巻第四NDLJP:1920980 コマ84,8月23日の条
- ^ 『吾妻鏡:吉川本』巻第二十七NDLJP:1920991 コマ146,10月6日の条
- ^ 藤元裕二『詫磨派研究』 学習院大学〈博士 (哲学) 甲第181号〉、2010年、14頁。 NAID 500000501178 。
解説全文
[編集]- ^ 国指定文化財等データベースで「栄賀」で検索“絹本著色十六羅漢図〈詫磨栄賀筆/〉”. 文化庁. 2015年3月1日閲覧。
- ^ “1-243_三千仏図(称名寺)”. 東京文化財研究所. 2015年2月28日閲覧。
書誌
[編集]- ^ 田口栄一執筆「宅磨派」(1987、『日本美術史事典』 NCID BN01100618p.566所収)
- ^ a b 瀬木慎一、2000.4、『江戸・明治・大正・昭和の美術番付集成 : 書画の価格変遷二〇〇年』、里文出版 NCID BA47143322p.126
- ^ 平田寛『絵仏師の時代』1994年2月。 NCID BN1049317X。