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宅磨派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宅磨派(たくまは)とは、平安時代後期から南北朝時代まで続いた絵師絵仏師の流派で巨勢派と併称される。絵仏師としては鎌倉時代初期の宅間勝賀平安仏画様式から肥痩抑揚線を特色とする宋画風の仏画を確立して詫磨栄賀まで続いた。また、勝賀の弟詫摩為久が鎌倉で作画し、後の澤間長祐を中心とした関東詫磨派もある。宅間詫磨詫摩詫麻琢摩琢磨澤間多倶摩とも記す。藤原氏

概要

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流祖と画風

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絵仏師宅磨派の流祖には数説がある。

京都で活躍した絵仏師には勝賀の後、主に以下の絵仏師がいる。

関東宅磨派

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系譜

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  • 系譜はいくつか作成されている。ここでは為遠以前を瀬木慎一前掲書[書誌 2]から、為遠からは藤元裕二『詫磨派の研究』[書影 6]を参照し、血縁師弟は実線で、不詳は点線で示した。また、太田亮編『姓氏家系大辞典』や常石英明編『書画骨董人名大辞典』にある宅磨系図は藤元の典拠p15を参照されたい。
  • 宅磨派系譜
宅磨為氏
 
為成
 
為遠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勝賀
(為基)
 
良賀
 
長賀
 
栄賀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
俊賀
 
 
 
 
 
 
 
 
為辰
 
 
 
 
 
 
 
為久
 
為行
 
 

脚注

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作品画像

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  1. ^ 東寺2014秋期特別公開”. 教王護国寺 (2014年9月20日). 2015年2月25日閲覧。
  2. ^ 宅磨為成. “明恵上人像”. 高山寺. 2015年3月1日閲覧。
  3. ^ 高山寺国宝・重要文化財”. 高山寺. 2015年2月28日閲覧。
  4. ^ Kongara-doji”. Freer/Sackler : the Smisonians Museum of Asian Art. 2015年2月25日閲覧。l

書影

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  1. ^ 笠井昌昭「訳注 本朝画史-2- (〔同志社大学〕創立100周年記念号)」『文化学年報』第25号、同志社大学文化学会、1976年3月、1-62頁、ISSN 02881322NAID 40003381977 
    笠井昌昭「訳注 本朝画史(三)」『人文學』第129巻、同志社大学人文学会、1976年12月、1-58頁、doi:10.14988/pa.2017.0000002869ISSN 0447-7340NAID 1200056306832022年5月31日閲覧 
  2. ^ a b c 朝岡興禎編『古画備考』巻32NDLJP:2591617
  3. ^ 立禅述 : 陳阿記『当麻曼荼羅捜玄疏聴書』巻NDLJP:822129
  4. ^ 『吾妻鏡:吉川本』巻第四NDLJP:1920980 コマ84,8月23日の条
  5. ^ 『吾妻鏡:吉川本』巻第二十七NDLJP:1920991 コマ146,10月6日の条
  6. ^ 藤元裕二『詫磨派研究』 学習院大学〈博士 (哲学) 甲第181号〉、2010年、14頁。 NAID 500000501178https://hdl.handle.net/10959/3417 

解説全文

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  1. ^ 国指定文化財等データベースで「栄賀」で検索絹本著色十六羅漢図〈詫磨栄賀筆/〉”. 文化庁. 2015年3月1日閲覧。
  2. ^ 1-243_三千仏図(称名寺)”. 東京文化財研究所. 2015年2月28日閲覧。

書誌

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  1. ^ 田口栄一執筆「宅磨派」(1987、『日本美術史事典』  NCID BN01100618p.566所収)
  2. ^ a b 瀬木慎一、2000.4、『江戸・明治・大正・昭和の美術番付集成 : 書画の価格変遷二〇〇年』、里文出版 NCID BA47143322p.126
  3. ^ 平田寛『絵仏師の時代』1994年2月。 NCID BN1049317X 

関連項目

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