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宇喜多基家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
宇喜多基家
時代 安土桃山時代
生誕 永禄5年(1562年)?
死没 天正10年(1582年)2月[1][2]
別名 元家、通称:与太郎
墓所 岡山県瀬戸内市邑久町大賀島寺
主君 宇喜多直家
氏族 宇喜多氏
父母 父:宇喜多春家 または 宇喜多忠家
養父:宇喜多直家
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宇喜多 基家(うきた もといえ)は、安土桃山時代武将宇喜多氏の家臣。宇喜多春家の子で、宇喜多直家の養子[2]、または宇喜多忠家の子。備前国沼城主。

生涯

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永禄5年(1562年)頃、宇喜多春家または宇喜多忠家の子として生まれる。

天正7年(1579年)、宇喜多氏が織田氏と和睦する際、宇喜多直家の名代として、織田信忠と面会したと伝わる。

天正10年(1582年)2月、備前での八浜合戦において総大将として出陣し、毛利氏穂井田元清と戦ったが、流れ弾に当たって討死した[1]。この合戦には宇喜多春家と忠家も加わっていたが、春家も討死したとされる[2]

死後

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基家は宇喜多氏の菩提寺とされる大賀島寺に葬られたが、岡山県玉野市八浜町大崎には与太郎神社も築かれ、いつのころからか「与太郎様」と呼ばれ、足の神様として信仰を集めている。

脚注

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  1. ^ a b 渡邊大門 2011, p. 167.
  2. ^ a b c 百家系図』巻29所収「浮田系図」、『百家系図稿』巻17所収「宇喜多系図」

参考文献

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  • 渡邊大門『宇喜多直家・秀家 西国進発の魁とならん』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2011年5月。ISBN 4623059278 
  • 谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(第2)吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014571