安倍寛麻呂
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 天平宝字元年(757年) |
死没 | 弘仁11年11月11日(820年12月19日) |
官位 | 従四位下・参議 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 安倍氏 |
父母 | 父:安倍東人 |
兄弟 | 広主、浄足、寛麻呂 |
子 | 安仁 |
安倍 寛麻呂(あべ の ひろまろ)は、平安時代初期の公卿。治部卿・安倍東人の三男。官位は従四位下・参議。
経歴
[編集]奈良時代中期の天平宝字元年(757年)に生まれるが、桓武朝末までの前半生の事績は不明で、40代後半の延暦22年(803年)になって中務少丞に任ぜられ、初めて歴史上に登場する。
大同元年(806年)平城天皇の即位後に伯耆掾(または介)として地方官に転じ、大同3年(808年)52歳にしてようやく従五位下に叙爵される。
嵯峨朝前半は侍従・民部少輔・斎宮頭などを歴任する。弘仁7年(816年)従五位上に叙せられると、弘仁8年(817年)正五位下・治部卿、弘仁9年(818年)従四位下と嵯峨朝の後半に急速に昇進し、弘仁10年(819年)参議兼大宰大弐に任ぜられ、叙爵後10年余りで公卿に列した。しかし参議任官後僅か1年半後の、翌弘仁11年(820年)11月11日卒去。享年64。最終官位は参議従四位下大宰大弐。
官歴
[編集]注記のないものは『日本後紀』による。
- 延暦22年(803年) 6月:中務少丞[1]
- 大同元年(806年) 閏6月5日:伯耆掾[1]
- 時期不詳:正六位上
- 大同3年(808年) 11月17日:従五位下
- 弘仁4年(813年) 日付不詳:侍従[1]
- 弘仁5年(814年) 正月11日:民部少輔[1]。2月10日:斎宮頭[1]。7月10日:兼伊勢権介
- 弘仁7年(816年) 正月7日:従五位上
- 弘仁8年(817年) 正月7日:正五位下。5月:治部卿[1]。8月1日:兼伊勢権守
- 弘仁9年(818年) 正月:従四位下
- 弘仁10年(819年) 3月1日:参議、治部卿如元[1]。7月:兼大宰大弐[1]
- 弘仁11年(820年) 11月11日:卒去(参議従四位下大宰大弐)