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安曇継成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安曇 継成(あずみ の つぐなり、生没年不詳)は、奈良時代官人宿禰官位正六位上内膳奉膳

経歴

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桓武朝延暦8年(789年神事における高橋氏安曇氏の席次の前後順を交代(高橋氏を前とする)ことが定められた。しかし、その後も順序の争いが絶えず、延暦10年(791年)の三度の神事で内膳奉膳を務めていた継成は高橋氏と争って前に立とうとしたため[1]、同年11月に新嘗の日により高橋氏を前とすることと定めた。しかし、継成は勅定に従わずに職務を放棄して出奔してしまった。官司は勅定に従わない継成を死刑に処するように求めたが、天皇の特別の恩赦により減刑され、継成は佐渡国への流罪に処された[2]

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『高橋氏文』(『本朝月令』所引)
  2. ^ 『日本後紀』延暦11年3月18日条

参考文献

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