安藤信由
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和元年10月11日(1801年11月16日) |
死没 | 弘化4年6月5日(1847年7月16日) |
改名 | 浜之助(幼名)、信由 |
戒名 | 宣照院殿光誉昶自徳大居士 |
墓所 | 東京都杉並区永福の栖岸院 |
官位 | 従五位下、従四位下伊勢守、対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番 |
主君 | 徳川家斉、家慶 |
藩 | 陸奥磐城平藩主 |
氏族 | 安藤氏 |
父母 | 父:安藤信馨、養父:安藤信義 |
兄弟 | 信発、信由 |
妻 | 松平信明娘従 |
子 | 信正、板倉勝成、正子、力子 |
安藤 信由(あんどう のぶより)は、江戸時代後期の大名。陸奥国磐城平藩4代藩主。官位は従四位下・対馬守。対馬守系安藤家9代。幕末の老中・安藤信正の実父。
生涯
[編集]享和元年(1801年)10月11日(文化3年(1806年)10月12日とも)、2代藩主・安藤信馨の五男として誕生した。父が文化9年(1812年)に死去した時、兄・信発は既に早世しており、信由はまだ幼少であったことから、従兄の信義が家督を継いだ。信義には実子がなく、その養子となる。
文化14年(1817年)7月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。文政3年(1820年)12月16日、従五位下・伊勢守に叙任する。後に対馬守に改める。文政12年(1829年)7月5日、信義の隠居により家督を継いだ。天保2年(1831年)8月17日、奏者番に就任する。
藩政においては、天保の大飢饉や長雨による大冷害などで3000人を超える餓死者を出し、藩財政が困窮した。弘化4年(1847年)6月5日に死去した。享年47、または42。跡を長男の信正が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 従 - 松平信明の娘
子女