コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

安藤信由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安藤信由
時代 江戸時代後期
生誕 享和元年10月11日1801年11月16日
死没 弘化4年6月5日1847年7月16日
改名 浜之助(幼名)、信由
戒名 宣照院殿光誉昶自徳大居士
墓所 東京都杉並区永福栖岸院
官位 従五位下従四位下伊勢守対馬守
幕府 江戸幕府 奏者番
主君 徳川家斉家慶
陸奥磐城平藩
氏族 安藤氏
父母 父:安藤信馨、養父:安藤信義
兄弟 信発信由
松平信明
信正板倉勝成、正子、力子
テンプレートを表示

安藤 信由(あんどう のぶより)は、江戸時代後期の大名陸奥国磐城平藩4代藩主。官位従四位下対馬守。対馬守系安藤家9代。幕末老中安藤信正の実父。

生涯

[編集]

享和元年(1801年)10月11日(文化3年(1806年)10月12日とも)、2代藩主・安藤信馨の五男として誕生した。父が文化9年(1812年)に死去した時、兄・信発は既に早世しており、信由はまだ幼少であったことから、従兄の信義が家督を継いだ。信義には実子がなく、その養子となる。

文化14年(1817年)7月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。文政3年(1820年)12月16日、従五位下・伊勢守に叙任する。後に対馬守に改める。文政12年(1829年)7月5日、信義の隠居により家督を継いだ。天保2年(1831年)8月17日、奏者番に就任する。

藩政においては、天保の大飢饉や長雨による大冷害などで3000人を超える餓死者を出し、藩財政が困窮した。弘化4年(1847年)6月5日に死去した。享年47、または42。跡を長男の信正が継いだ。

系譜

[編集]

父母

正室

子女

脚注

[編集]
  1. ^ 板倉勝貞の養子。
  2. ^ 安藤信勇の母。