板倉勝成
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政4年3月25日(1821年4月27日) |
死没 | 嘉永元年6月25日(1848年7月25日) |
改名 | 安藤信中、板倉勝成 |
別名 | 鋭次郎、脩次郎(通称) |
戒名 | 天徳院殿峰山源照大居士 |
墓所 | 西尾市の長圓寺 |
官位 | 従五位下越中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 備中庭瀬藩主 |
氏族 | 安藤氏、板倉氏 |
父母 |
父:安藤信由、母:不詳 養父:板倉勝貞 |
兄弟 | 安藤信正、勝成、正子、力子 |
子 | 養子:勝全 |
板倉 勝成(いたくら かつしげ)は、江戸時代後期の大名。備中国庭瀬藩の第9代藩主。通称は鋭次郎、脩次郎。官位は従五位下・越中守。重宣系板倉家10代。
略歴
[編集]陸奥国磐城平藩主・安藤信由の次男として誕生。初名は信中。兄に幕末の老中・安藤信正がいる。
先代藩主・板倉勝貞の養子となっていた勝敬が早世したため、代わって養嗣子となり、嘉永元年(1848年)3月21日に勝貞の隠居により家督を継いだ。しかし同年6月25日に28歳で死去し、跡を養嗣子の勝全が継いだ。法号は天徳院殿峰山源照大居士。