板倉勝興
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保7年7月14日(1722年8月25日) |
死没 | 寛政8年7月4日(1796年8月6日) |
戒名 | 永寿院鶴峰源亀大居士 |
墓所 | 西尾市の長圓寺 |
官位 | 従五下摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治 |
藩 | 備中庭瀬藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 | 板倉昌信、宮本氏 |
兄弟 | 勝興、堀直著正室、石川総恒正室 |
妻 |
植村家敬長女、植村家敬三女 西村氏、関氏、大宮氏 |
子 |
勝志、勝紀、巨勢至親、勝喜、 大久保教倫婚約者、永井直諒正室、 板倉勝宦正室 |
板倉 勝興(いたくら かつおき)は、江戸時代中期の大名。備中国庭瀬藩3代藩主。官位は従五下・摂津守。重宣流板倉家4代。
略歴
[編集]2代藩主板倉昌信の長男として誕生。
享保15年(1730年)、父の死去により家督を継ぐ。藩政に見るところもなく、天明4年(1784年)3月9日に家督を長男の勝志に譲って隠居した。
寛政8年(1796年)7月4日、75歳で死去した。法号は永寿院鶴峰源亀大居士。