植村家敬
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 延宝8年(1680年) |
死没 | 享保16年8月21日(1731年9月21日) |
改名 | 九郎八・新六郎(幼名)、家敬 |
別名 | 家隆、家春(別名) |
戒名 | 仁兵道義正善院 |
墓所 | 奈良県高市郡高取町上子島の宗泉寺 |
官位 | 従五位下、右衛門佐、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 大和国高取藩主 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村政成、養父:植村家言 |
妻 |
正室:松平近禎の娘・於吹 継室:酒井忠與の娘・於梅 |
子 |
高堅(長男)、家道、娘(板倉勝興正室)、娘(柳沢保卓継室)、娘(板倉勝興継室) 養子:稲之助、家包 |
植村 家敬(うえむら いえゆき)は、大和高取藩の第4代藩主。
略歴
[編集]延宝8年(1680年)、第2代藩主・植村家貞の長男・政成の長男として生まれる。元禄8年(1695年)、叔父である第3代藩主・家言の嫡男・亀松が早世し、元禄9年(1696年)に家言も死去したため、その養子として跡を継いだ。
享保16年(1731年)8月21日に死去した。享年52。
嫡男の高堅は享保10年(1725年)に早世し、分家から養子として迎えた稲之助も享保12年(1727年)に早世し、残っていた実子の家道も幼少のため、分家から迎えた家包に跡を継がせた。