植村家貴
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化4年2月26日(1807年4月3日) |
死没 | 嘉永6年2月23日(1853年4月1日) |
改名 | 長蔵・刑部(幼名)、家貴 |
戒名 | 浄雲普光徳現院 |
墓所 | 奈良県高市郡高取町上子島の宗泉寺 |
官位 | 従五位下、美濃守、駿河守、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 外桜田門番、奏者番 |
藩 | 大和国高取藩主 |
氏族 | 植村氏 |
父母 |
父:植村家長、母:八重 養父:植村家教 |
兄弟 | 成松、熊二郎、家教、家貴 |
妻 |
正室:南部信真の娘 側室:富永沢 |
子 |
生子(植村家壷正室) 養子:家理、家興 |
植村 家貴(うえむら いえたか)は、大和高取藩の第11代藩主。
文化4年(1807年)2月26日、第9代藩主・植村家長の四男として生まれる。文政7年(1824年)5月、第10代藩主で兄の家教の養子となる。嘉永元年(1848年)5月、兄の隠居により家督を継ぐ。嘉永2年(1849年)6月、外桜田門番に任じられ、嘉永4年(1851年)6月13日には奏者番に任じられた。
嘉永6年(1853年)2月23日に死去した。享年47。跡を養子の家興が継いだ。