高取町
たかとりちょう 高取町 | |||||
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高取城跡(天守台と杉の巨樹) | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 奈良県 | ||||
郡 | 高市郡 | ||||
市町村コード | 29401-2 | ||||
法人番号 | 7000020294012 | ||||
面積 |
25.79km2 | ||||
総人口 |
6,185人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 240人/km2 | ||||
隣接自治体 | 橿原市、御所市、高市郡明日香村、吉野郡大淀町、吉野町 | ||||
町の木 | カエデ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
高取町役場 | |||||
町長 | 中川裕介 | ||||
所在地 |
〒635-0154 奈良県高市郡高取町大字観覚寺990番地1号 北緯34度26分58秒 東経135度47分36秒 / 北緯34.4495度 東経135.79322度座標: 北緯34度26分58秒 東経135度47分36秒 / 北緯34.4495度 東経135.79322度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
[編集]隣接している自治体
[編集]歴史
[編集]古代
[編集]飛鳥の南に位置しており、町内にも古墳が多数見られる。また、飛鳥から吉野や紀伊に通じる道の途上にあたる位置でもあった。渡来人の東漢氏がこの地域に定着した。『日本書紀』には、676年に高取山周辺の森林伐採を禁止する記述(日本最古の保安林的制度)が見られる[1]。ことから、古くから周辺の人口集中を支える地域として発展していたことが窺える。
またこの地に波多郷も有り波多氏一族が住んでいた。『日本書紀』推古天皇20年(612年)5月5日条に“薬猟(くすりがり)をして後、羽田に集い、引き続いて朝廷に赴いた”という記述がある。
この時の羽田を『和名類聚抄』では大和国高市郡波多郷としている。また『大同類聚方』によると、高市郡の波多神社には新羅伝来の「志路木藥」が伝わる。
『和名抄』に大和国高市郡波多郷は後世、波多庄を称し、至徳三年(1386年)文書に畑庄と見ゆ、(高取町市尾から羽内の辺り及び明日香村南部まで)波多郷稲淵山との記述が有る『五郡神社記』。
『大日本地名辞書 上方』には「波多《ハタ》郷 和名抄、高市郡波多郷。今高取村舟倉村是なり。霊異記に高市郡波多里、又今昔物語高市郡八多郷に小島小寺ありと見ゆ、小島は今高取村に大字存す」とある。
また波多神社[2]の有る冬野の麓には畑という地名が残るのでこの辺りまで波多郷であったと思われる。
中・近世
[編集]大和国内で有力であった越智氏の勢力圏に属する。越智氏の本城は貝吹山城(橿原市との境に位置)であったが、その支城として高取山城が築かれていた。越智氏は北部の筒井氏とたびたび対立していたが、これに敗れ衰亡していく。
豊臣秀吉の弟秀長が大和の国主となり郡山城に入ると高取周辺もその領地となり、高取山城も改修の手が加えられ日本三大山城に数えられる高取城が姿を見せた。なお同城には秀長の家臣本多氏が入った。
江戸時代には引き続き本多氏が続くも断絶、天領の時期を経て譜代の植村氏が2万5千石で封ぜられる。この高取藩は一時分知により2万500石となるが再度加増を受け2万5000石に復帰、明治維新まで続いた。
近代
[編集]江戸時代末に起こった天誅組事件の舞台の一つとなる。五條代官所を襲撃した天誅組の一団が高取城を目指し進撃するも高取藩兵の迎撃を受け敗退、吉野方面に退却していった。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、高取村・壺阪村・上子島村・下子島村・清水谷村・土佐町・土佐村・観覚寺村の区域をもって高取村が発足。
- 1891年(明治24年)6月3日 - 高取村が町制施行して高取町となる。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 船倉村・越智岡村と合併し、改めて高取町が発足。
町域の変遷
[編集]明治22年 | 明治25年 | 昭和29年 | 現在 |
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奈良県 | |||
高市郡 | |||
高取村 | 高取町 | 高取町 | |
船倉村 | |||
越智岡村 |
行政
[編集]経済
[編集]産業
[編集]- 農業、林業、薬
町内に本社を置いている企業
[編集]医薬品製造「薬の町」
- 池尻製薬
- 近畿医薬品製造
- 共立薬品工業
- 米田薬品工業
- 太陽堂製薬
- 新生薬品工業
- 豊島製薬
- 中村薬品工業
- 関西薬品工業
- 高取薬業連合会(高取製薬工業組合、高取配置薬組合、医薬品卸同好会の三者からなる)
- 高取製薬工業組合
医薬品卸売
配置薬業界新聞
金融機関
[編集]- 南都銀行 高取支店(観覚寺)
農業協同組合
[編集]- 奈良県農業協同組合(JAならけん)
- 高取支店(市尾)
- 高取経済センター(市尾)
日本郵政グループ
[編集](※2014年6月現在)
高取町内の郵便番号は「635-01xx」(高取郵便局の集配担当)となっている。
地域
[編集]人口
[編集]高取町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 高取町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 高取町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
高取町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
- 2007年10月1日現在 : 7,894人
- 人口増加率(2002年→2007年) : -1.8%
教育
[編集]- 高取町立たかむち小学校
- 育成小学校の閉鎖により、育成小学校と高取小学校が合併した。
- 校名、校歌は町民のアンケートにより決定した。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]- 西南部は近鉄葛駅(御所市)が至近。
路線バス
[編集]道路
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 高取城跡(国史跡)
- 市尾墓山古墳・市尾宮塚古墳 - 両古墳とも後期初頭の前方後円墳、墓山は全長66メートル、宮塚は全長44メートル。1981年(昭和56年)国の史跡に指定される。
- 南法華寺(壷阪寺)
- 子嶋寺
- 素盞嗚命神社
- 斉明天皇陵
- 束明神古墳
- 岡宮天皇陵
- 植村家長屋門
- 土佐街道
- お里・沢市の墓
- 与楽古墳群
-
高取城跡
-
壷阪寺
-
子嶋寺
祭事
[編集]- 1月
- 2月
- 3月
- 町家の雛めぐり(土佐街道一帯)
- 4月
- 5月
- 6月
- 7月
- 8月
- 高取町夏まつり(高取町健民グラウンド)
- 9月
- 10月
- 11月
- 薬祖神祭(高取薬業連合会)
- 23日 高取城まつり(高取町児童公園・土佐街道一帯)
- 12月
高取町出身の有名人
[編集]- 阿波野青畝(俳人)
- 尾関雅次郎(新撰組隊士。隊のトレードマークである「誠」の旗を持つ役をしていたのは彼)
- 德勝龍誠(大相撲力士) 高取町生まれだが、出身地は奈良市。
- 吉田奈央 (チアリーダー)
- 山田三良(法学者)
脚注
[編集]- ^ “奈良県スタイルジャーナル p2”. 奈良県. 2021年11月17日閲覧。
- ^ 奈良県高市郡明日香村冬野152
- ^ “高取町長に中川氏初当選”. 奈良新聞. (2020年11月29日) 2021年7月27日閲覧。
- ^ “議会のしくみ”. 2018年12月16日閲覧。
- ^ 選挙区と定数 奈良県選挙管理委員会
- ^ 植村家忠さん 77歳=高取町長 /奈良
- ^ 前高取町長(故)植村家忠氏に死亡叙勲および叙位を伝達
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 高取町観光ガイド
- 高取町商工会
- 高取町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- ウィキトラベルには、高取町に関する旅行ガイドがあります。
- 地図 - Google マップ