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植村家言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
植村家言
時代 江戸時代前期
生誕 寛文3年(1663年
死没 元禄9年3月18日1696年4月19日
改名 万之助・家知(幼名)、家言
戒名 幽山素玄高性院
墓所 東京都港区の如来寺
官位 従五位下、出羽
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
大和国高取藩
氏族 植村氏
父母 植村家貞
兄弟 政成家言政明正澄
正室松平信之の娘・誓教院
継室酒井忠直の娘・玄好院
亀松、娘(九鬼隆抵正室)、娘
養子家敬
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植村 家言(うえむら いえのぶ)は、大和高取藩の第3代藩主

略歴

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寛文3年(1663年)、第2代主・植村家貞の次男として生まれる。政成病弱だったため、貞享4年(1687年)8月25日、父の隠居で跡を継いだ。このとき、弟の政明に1000石、正澄に500石を分与したため、高取藩は2万500石となった。元禄元年(1688年)、弟の政明の罪に連座して処罰されている。

元禄9年(1696年)3月18日に死去した。享年34。跡を政成の息子で養子の家敬が継いだ。