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宗田まこと

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宗田 まこと(そうだ まこと、1950年昭和25年〉[1]10月14日 - )は、日本歌手女優。所属していた事務所は「岡田プロ」[2]

来歴・人物

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大阪市生野区の乾物屋の末娘として生まれる[3]。当時その風貌から「国籍不明」とも言われたことがあったが、両親とも日本人であるため本人も純日本人である[4]。高校卒業後1970年に劇団俳優小劇場付属養成所入り[5]、同所を出たのち劇団雲に入団、映画『混血児リカ』などに出演した[1][3][6]

1974年6月、『幸せ振り』で歌手デビュー[1]。この歌手デビューにあたりレコード会社から付けられたキャッチコピーが「ハリケーンおんなに気をつけろ」[3]。「ドスの効いた声も出せる」と紹介されたことがある[3]

公表されていたサイズ(1975年当時)は、身長167cm、B91cm、W63cm、H93cm[4][3][6]

出演

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映画

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宗田政美名義
  • 混血児リカ(1972年、東宝) - 花子
  • 前科おんな 殺し節(1973年、東映) - 中川雪江[7]
  • 女囚さそり けもの部屋(1973年、東映) - ヌードスタジオの女
  • 混血児リカ ひとりゆくさすらい旅(1973年、東宝) - 花子
  • 混血児リカ ハマぐれ子守唄(1973年、東宝) - 竜巻お万
  • 御用牙 かみそり半蔵地獄責め(1973年、東宝) - 大酔女

テレビドラマ

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宗田政美名義[8]
宗田まこと名義[9]
  • 部長刑事朝日放送) - 以下各話ゲスト
    • 第768話(1973年6月30日)「西成から来た刑事」
    • 第788話(1973年11月17日)「助教授」
    • 第796話(1974年1月12日)「ヨコスカへ行った女」
    • 第814話(1974年5月18日)「さん・とわ・まみぃの涙」
    • 第860話(1975年4月5日)「男と女と屋根裏と」
    • 第890話(1975年11月15日)「ある落日」
    • 第906話(1976年3月6日)「出口のない地下駐車場」
    • 第1002話(1978年1月7日)「女業深重」
    • 第1229話(1982年5月15日)「女子刑務所」
  • たぬき先生騒動記フジテレビ、1976年) - たま 役(レギュラー)
  • あんちゃん日本テレビ系列) - 第1話(1982年10月23日)ゲスト
  • 大奥関西テレビ東映) - 第45話(1984年2月14日)「花嫁は大奥一年生」、別式女 役

その他

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ディスコグラフィ

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# 発売日 A/B面 タイトル  規格品番
1 1974年 A面 幸せ振り FS1792
B面 間違えた愛
2 1975年 A面 都会 FS1820
B面 純情
3 1976年 A面 夜光虫[注釈 1] FS2020
B面 ぱんどらの箱

脚注

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注釈

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  1. ^ インドネシアバリ島の民族音楽、ケチャのリズムに乗った構成の曲[2]

出典

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  1. ^ a b c 『映画情報 1975年5月号』国際情報社、1975年5月、59頁。 
  2. ^ a b 週刊プレイボーイ 1976年7月27日号 巻頭グラビアページ
  3. ^ a b c d e 『新評 昭和49年8月号』新評社、1974年8月、13-19頁。 
  4. ^ a b 平凡パンチ 1975年7月7日号 巻頭グラビア「今週の表紙モデル」
  5. ^ 別冊POCKETパンチ(平凡出版)1976年8月臨時増刊号 本人ページ
  6. ^ a b 週刊ポスト 1974年6月28日号 p.206 - 207「男のオアシス」
  7. ^ 『映画情報 1973年12月号』国際情報社、1973年、63頁。 
  8. ^ テレビドラマデータベース「宗田政美」
  9. ^ テレビドラマデータベース「宗田まこと」
  10. ^ 週刊プレイボーイ 1976年3月16日号(p.19 - 21)「水着姿で全員集合 『'76オールスター紅白寒中水泳大会』より」