宗義倫
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養玉院所蔵 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 寛文11年3月26日(1671年5月5日) |
死没 | 元禄7年9月27日(1694年11月14日) |
別名 | 右京(通称)、義竜 |
戒名 | 霊光院殿心嶽宗観大居士 |
墓所 | 長崎県対馬市厳原町国分の万松院 |
官位 | 従四位下侍従、対馬守、右京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 対馬府中藩主 |
氏族 | 宗氏 |
父母 | 宗義真、三浦成友娘津河 |
兄弟 | 義倫、古川真言、義方、多田倫寛、義誠、方熈、高瀬行方、日野資成室、常、六、家ら |
妻 | 溝口重雄娘峯、園 |
子 | 義方 |
宗 義倫(そう よしつぐ/よしとも)は、対馬国府中藩4代藩主。
生涯
[編集]寛文11年(1671年)3月26日、第3代藩主・宗義真の次男として生まれる。貞享元年(1684年)12月、従四位下、右京大夫に叙位・任官される。長兄の早世で世子に指名され、元禄5年(1692年)6月27日、父の隠居により家督を相続して第4代藩主となる。
しかし若年のため、実権は父がなおも掌握していた。元禄7年(1694年)9月27日、父に先立って江戸で死去した。享年24。跡を弟で養子の義方が継いだ。
系譜
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