宮原晃一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮原 晃一郎
誕生 宮原 知久
(1882-09-02) 1882年9月2日
鹿児島県鹿児島市加治屋町
死没 (1945-06-10) 1945年6月10日(62歳没)
職業 児童文学者、英文学北欧文学
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
テンプレートを表示

宮原 晃一郎(みやはら こういちろう、1882年9月2日 - 1945年6月10日)は、日本の児童文学者英文学者北欧文学者、翻訳家。本名の宮原 知久(みやはら ともひさ)名義での編書もある。

来歴[編集]

鹿児島県鹿児島市加治屋町に生まれ、10歳より北海道札幌市に育つ。成績優秀のため高等小学校を飛び級で卒業、鉄道運輸の事務職に就く。

20歳でキリスト教洗礼を受け、牧師から英語を学ぶ。小樽新聞記者のかたわら外国文学を読み漁り、英語を基礎に独学でドイツ語フランス語ロシア語イタリア語ノルウェー語スウェーデン語デンマーク語を身につけ、翻訳家となる。ノルウェーノーベル文学賞作家、クヌート・ハムスンを初めて原語から邦訳し、シグリ・ウンセットヨハン・アウグスト・ストリンドベリの翻訳も行った。1910年頃から、有島武郎と交流を持った。

上京後、1924年『世界文学』に参加する[1]児童文学の創作も行い、童話雑誌『赤い鳥』に54篇の作品を残した。1930年代には、雑誌『作品』に北欧文学、ソビエト文学を紹介する記事を書いた[2]

疎開中の1945年に死去し、蔵書は北海道大学附属図書館に寄贈された。

文部省唱歌われは海の子』の作詞者と目されている(詳細はわれは海の子#作詞者にて)。

著書[編集]

編書[編集]

  • 『海洋の研究』(宮原知久名義、春秋社、新學藝講座 第4編) 1922

翻訳[編集]

レフ・トルストイ[編集]

  • 『莫科の知人と陣中の邂逅』(トルストイ、春秋社、トルストイ全集2) 1920
  • 『闇の力 独和対訳』(トルストイ、佐久間政一共訳、南山堂書店) 1928
  • 生ける屍』(トルストイ、春陽堂書店、世界名作文庫) 1936

イワン・ツルゲーネフ[編集]

  • 『講演論文及び書翰』(ツウルゲニエフ、杜翁全集刊行会、杜翁紀念文庫) 1920
  • 『文学的回想 文学及び生活の回想に関する諸論文』(ツルゲーニエフ、聚芳閣、海外芸術評論叢書) 1926
  • 『ハムレットとドン・キホーテ』(ツルゲネーフ、春陽堂、世界名作文庫) 1935

ヴィクトル・ユーゴー[編集]

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ[編集]

  • 『死の舞踏 / 父 / 債権者 / パーリヤ / 復活節』(ストリンドベルィ、世界文豪代表作全集刊行会、世界文豪代表作全集16) 1926
  • 『歴史の縮図』(ストリンドベルグ、春陽堂、世界名作文庫) 1934
  • 『青書』(ストリンドベーリ、日月書院) 1943

アグネス・ザッパー[編集]

  • 『愛の一家』(アーグネス・サッベル平凡社、世界家庭文学全集) 1930
  • 『愛の一家 続』(サッペル、中央公論社) 1940
  • 『一年生物語』(サツペル、中央公論社) 1941
  • 『リーゼちゃん サッペル短篇集』(童話春秋社) 1942、のち改題『リーゼちゃん サッペル短篇童話』 1954

ヨハン・ボーエル[編集]

  • 『嘘の力 / 人生 / 世界の顔』(ヨハン・ボーエル新潮社、世界文学全集) 1931
  • 『移民』(ヨハン・ボーエル、西外次郎共訳、四元社) 1939
  • 『開拓者』(ヨハン・ボーエル、西外次郎共訳、三和書房) 1940
  • 『大飢餓』(ヨハン・ボーエル、中央公論社、現代世界文學叢書) 1940

ジュール・ヴェルヌ[編集]

  • 『父を尋ねて』(ジュウル・ヴェルヌ、童話春秋社) 1943
  • 『ダンカン号の冒険』(ジュール・ベルヌ、同和春秋社、世界少年少女名作選集) 1955
  • 『船長のゆくえ』(ジュール・ヴェルヌ、平凡社、冒険小説北極星文庫) 1956 - 1957

脚注[編集]

  1. ^ 第一次『世界文學』(金星堂)のこと。
  2. ^ ソビエト文学については、グリヤン(О. М. Гурьян)作「黄金の尾」の紹介。雑誌『作品』第35号(作品社) 1933年

参考[編集]

外部リンク[編集]