宮島綱男
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宮島 綱男(みやじま つなお、1884年(明治17年)10月13日 - 1965年(昭和40年)3月26日)は、日本の経済学者・大学経営者。日仏交流にも長年尽力した。
略歴
[編集]1884年、愛知県丹羽郡池野村(現・犬山市)の素封家の家に生まれる。
1904年、名古屋英和学校を卒業。1908年、早稲田大学商科の外交部を首席で卒業[1]。1911年、早大在外研究員としてヨーロッパに留学、シャルル・ジイド(ノーベル賞作家アンドレ・ジイドの叔父)の下で金融経済学を学ぶ。1913年、早大教授となるも、1917年早稲田騒動で早大を去る[2]。その後、山岡順太郎(大阪商工会議所会頭)の個人秘書となる[3]。
1921年、関西大学教授となる。教務のかたわら大学令による関西大学の昇格のため奔走する[4]。1922年、関大専務理事となる。1924年、関大専門部文科を開設[5]。1925年、フランス政府からオフイシェ・ダカデミー勲章を授与される。1927年、関大専門部紛擾事件により専務理事を辞職[6]。
1928年、国際労働会議(ILO)常任顧問としてヨーロッパに駐在(1934年まで)。1938年、神戸日仏協会副会長(のち会長)となる。1940年、国際経済研究会会長となる。1947年、第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補したが落選した[7]。1948年、学校法人関西大学理事長となる(1952年まで)。
1965年、老衰により死去。80歳。死の直前にフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与された。
著書
[編集]- 『保険論講義案』 第1編、東京宝文館、1914年11月。NDLJP:952396。
- An introduction to the study of commerce. Hobunkan. (1915)
- 『経済学原理』 上巻、瞭文堂、1925年11月。
- アーサー・セシル・ピグー『マーシャル経済学論集』宮島綱男監訳、宝文館、1928年1月。
- Contribution à l'étude du théâtre japonais de poupées. Societe de rapprochement intellectuel franco-japonais, Institut franco-japonais du Kansa. (1931-05)
- Souvenirs sur Charles Gide 1847-1932. Librairie du Recueil Sirey. (1934)
- ア・アガール『マーシャル経済学論集』宮島綱男・土居博共訳、修文館、1943年10月。
栄典
[編集]- 勲四等旭日章(日本)[8]
- オフイシェ・ダカデミー勲章(フランス)[9]
- レジオンドヌール勲章第三等コマンドール(フランス)[8]
- ベルギー王冠章四等[8]
- カンボジア王冠章三等[8]
脚注
[編集]- ^ 『早稲田大学百年史』 第二巻、105頁
- ^ このとき宮島の馘首は不当として大山郁夫、村岡典嗣、服部嘉香も辞職した(『随筆 早稲田の半世紀』 28-29頁)
- ^ 『関西大学百年史』 人物編、482-483頁
- ^ 『関西大学百年史』 人物編、483頁
- ^ 親交のあった駐日フランス大使ポール・クローデルの助言がきっかけとされる(『関西大学百年史』 人物編、484頁)
- ^ 宮島の大学運営は学部重視、専門部軽視の傾向が強く、専門部学生の間での評判は非常に悪かった(関西大学創立七十年史編集委員会 『関西大学七十年史』 関西大学、1956年、304-318頁)。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』539頁。
- ^ a b c d 『関西大学百年史』 人物編、487頁
- ^ 『関西大学百年史』 人物編、485頁
参考文献
[編集]- 服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、1957年。
- 早稲田大学大学史編集所 『早稲田大学百年史』 第二巻、早稲田大学出版部、1981年。
- 関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 人物編、関西大学、1986年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。