宮沢次郎
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宮沢 次郎(みやざわ じろう、1909年(明治42年)10月22日 - 1999年(平成11年)7月3日[1])は、日本の実業家。満洲国官吏、大蔵官僚を経て、トッパン・ムーア会長。静岡県出身。
経歴・人物
[編集]静岡県立静岡中学校に学ぶ[1]。1933年(昭和8年)、東京帝国大学法学部卒業[2]。満洲国政府に入り、1941年(昭和16年)、日本政府に派遣され、内閣総力戦研究所に入所[2]。1942年(昭和17年)、満洲国に帰任、役職を歴任。終戦後、大蔵省国有財産局総務課勤務を経て[2]、1949年(昭和24年)、高松財務局国有財産部長[2]。高松財務部次長を経て、本省理財局管理課長、印刷局業務課長を歴任[2]。1953年(昭和28年)5月、凸版印刷に転じ、取締役総務部長[2]。1960年(昭和35年)12月、同、常務[2]。1965年(昭和40年)、カナダのムーア社との合弁会社トッパン・ムーア副社長[2]。1967年(昭和42年)、同、社長[2]。
著書
[編集]- 『「青春」の詩』 三笠書房 1990.6
- 『感動の詩賦「青春」 : 日本人の心の地下水を汲みあげる』 竹井出版 1988.8