安藤実親
あんどう さねちか 安藤 実親 | |
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出生名 | 安藤 實親 |
別名 |
ふゆう さかえ 富侑 栄 |
生誕 | 1932年2月4日 |
出身地 | 日本・鹿児島県・鹿児島市武町 |
死没 | 2022年5月6日(90歳没) |
学歴 | 鹿児島県立鶴丸高等学校卒 |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1961年 - 2022年 |
レーベル | コロムビアレコード、1966年 〜 クラウンレコード |
安藤 実親(あんどう さねちか、(本名:安藤 實親)1932年(昭和7年)2月4日 - 2022年(令和4年)5月6日)は、日本の作曲家。別名:富侑栄(ふゆう さかえ)。
来歴・人物
[編集]鹿児島県・鹿児島市武町に生まれ、1946年(昭和21年)、国鉄西鹿児島工場(現・JR九州鹿児島車両センター)に就職。1952年(昭和27年)に鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業すると、卒業と同時に国鉄を退職し、上京した。
上京後、1954年(昭和29年)にコロムビアレコード専属作曲家であった松尾健司に師事。そして1961年(昭和36年)にコロムビアレコード専属作曲家となり、主に編曲を担当した。1964年(昭和39年)には村田英雄の「姿三四郎」で作曲家としてデビューし、コロムビアレコードからゴールデンヒット賞・新人作曲賞を受け、以後、こまどり姉妹・舟木一夫・村田英雄・美空ひばり等の作曲を手掛けた。
1966年(昭和41年)にクラウンレコードへ移籍し、そこでも水前寺清子・笹みどり・北島三郎・姿憲子等数十名の作曲を手掛けた。1981年(昭和56年)にクラウンレコード退社後はフリーとなり、北新宿に安藤実親艶歌教室を開き、新人歌手育成に力を入れている。また、1983年(昭和58年)からは、財団法人犯罪被害救援基金へのチャリティーとして、毎年6月にカラオケ大会を実施している。
更に1990年(平成2年)12月に発売された原田直之の「全国ご町内音頭」は、発売枚数50万枚を突破し、平成3年度コロムビアゴールデンディスク賞・プラチナ賞を受賞した。
これまでに社歌・校歌等を含め作曲は千数百曲、編曲は二千数百曲に及ぶ。趣味はクラシック音楽鑑賞で、バッハやベートーベンを好んで聴いていた。
2022年5月6日、新型コロナウイルス感染による肺炎のため埼玉県内の病院で死去[1]。90歳没。
主な作品
[編集]- 村田英雄
- 姿三四郎
- 柔道水滸伝(1965年(昭和40年)第16回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- こまどり姉妹
- 女の恋(1964年(昭和39年)第15回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 曽我兄弟
- 常連さん
- 落葉は泣いてる
- 恋ひとすじに
- 泣くな裏町
- アリラン波止場
- こんな女になりました
- 恋に拍手を(1965年(昭和40年)第16回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- ひらがな便り
- 北海道巡句
- 舟木一夫
- 美空ひばり
- 浪曲渡り鳥
- 一節太郎
- 男の三拍子
- 水前寺清子
- いっぽんどっこの唄(1966年(昭和41年)第17回NHK紅白歌合戦、1973年(昭和48年)第24回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- どうどうどっこの唄(1967年(昭和42年)第18回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 男でよいしょ(1968年(昭和43年)第19回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- ひとりでよいしょ
- 艶歌
- 大勝負(1970年(昭和45年)第21回NHK紅白歌合戦、1975年(昭和50年)第26回NHK紅白歌合戦、1982年(昭和57年)第33回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- あゝ男なら男なら(1971年(昭和46年)第22回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- てっぺんまごころ(1974年(昭和49年)第25回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 鬼面児(1976年(昭和51年)第27回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 北島三郎
- 歩(1976年(昭和51年)第27回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 笹みどり
- 三味線育ち
- 女の絶唱
- 女のうず潮
- 大奥哀歌
- 姿憲子
- 姿三四郎
- 闘魂
- 三波春夫
- 放浪茣蓙枕(1983年(昭和58年)第34回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 交通安全音頭
- 天童よしみ
- あんたの花道(2002年(平成14年)第53回NHK紅白歌合戦歌唱曲)
- 都はるみ
- 困るのことョ
テレビドラマ
[編集]脚注
[編集]- ^ "作曲家の安藤実親さん死去 90歳、北島三郎「歩」舟木一夫「銭形平次」など手掛ける". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 7 May 2022. 2022年5月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 『音楽生活40年 安藤実親作品集 艶歌の歩』解説書