ワッシー・ヴィンセント・ジュニア
ワッシー・ヴィンセント・ジュニア(Wouassi Vincent Jr.
[注釈 1]、1964年5月5日 - )は、アフリカ西部のカメルーン共和国出身、日本で活動する黒人ミュージシャン。新内節の
略歴
[編集]カメルーン共和国で生まれ、首都ヤウンデで成人する[注釈 2]。18歳でカメルーン国立オーケストラに参加[14][15]、1989年に同楽団のドラマー、パーカッショニストに抜擢されたという[16][6]。1993年、ヤウンデの下町ンコンカーナ地区で母親が営む下宿屋兼自宅にて、カメルーンの現地調査のため滞在する日本人研究者と知り合う[1][2][3]。翌1994年(平成6年)30歳でドラム演奏のため初来日し、ホームステイした大阪の家庭で三味線の存在に出会う[17][18]。以来、日本に居住[6]。三味線を新内の家元である富士松菊三郎に師事[18][19]。2002年(平成14年)、大阪の国立文楽劇場で
1996年(平成8年)あるいは1997年(平成9年)に日本で多楽器編成のバンド「Wouassi and Roots Band(ワッシー&ルーツバンド)」を結成[14][6]。関東近郊のバーやライブハウス、イベントにて三味線を用いた演奏活動をおこなうほか[21][2]、テレビ番組『たけしの誰でもピカソ』、『新報道2001』、NHKなどメディア出演や[22][15][23]、各種ワークショップ、音楽教室の講師などを務める[7][22]。作品がイギリスの『BBCミュージック・マガジン(en:BBC Music Magazine)』誌の「The best CDs of 1997」に選ばれている[16]。木暮武彦率いるMT.DELICIOUSのレコーディングにも参加[24]。2018年(平成30年)4月には草加アコスホールを会場に、「ワッシー来日25周年記念ライブ」が地元の企業・商店、団体の後援で開催された[25][20]。
影響を受けたミュージシャンとして、カメルーン人の著名なサクソフォーン奏者マヌ・ディバンゴ、同じくカメルーンの盲目のギタリストタラ・アンドレ・マリーを挙げている[26]。
家族
[編集]父親はギター奏者で[14]、マヌ・ディバンゴのバンドでバンジョーを演奏していた時期があるという[4]。
ディスコグラフィ
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ワッシー(Wouassi)が姓。カメルーンの公用語はフランス語のため、名のVincentはヴァンサン[1][2][3]、ヴェンサン[4]ともカナ表記される。
- ^ カメルーン西部州の町バンガンテから東隣する中央州のヤウンデに母親とともに来たという[3]。両親とも商業民と言われるバミレケ族[10][11][12]に属し、バミレケ族の中でも母はバンガンテ族、父はバファン族という[13]。
- ^ 次兄のBrice Wassyは1958年生まれのドラマー、パーカッショニスト[28][4]。カメルーンの首都ヤウンデに育つ[29]。1974年に10代でフランスのパリに渡り、マヌ・ディバンゴやウォリー・バダロウ(en:Wally Badarou)らと共演[28]。拠点をパリに移したマリ共和国出身のミュージシャンサリフ・ケイタのバンドリーダーを1984年から1990年まで務めたほか、パリで録音されたトーキング・ヘッズの最終アルバム『ネイキッド』(1988年発表)にも参加[28][30]。また、ドン・チェリー、ジャン=リュック・ポンティ、グラハム・ヘインズといったジャズ・ミュージシャンとの共演や[28]、世界的に著名なキューバのパーカッショニストのチャンギート、ブラジル出身のアイアート・モレイラとの共演もある[31]。フェラ・クティからも評価を受けた[31]。ソロデビュー・アルバムは1995年にフランスでリリースした『N'ga Funk』[28]。「6/8リズムの王様(King of 6/8 Rhythm)」の異名を持つ[29][31]。
- ^ 姉のFélicité Wouassiはフランスの俳優[32]。フルネームはFélicité LEUMAHA-SIECAPEN-WOUASSI[33]。フェリシテ・ウワシーのカナ表記もある[34]。2010年にフランスの芸術文化勲章(シュヴァリエ)を受章[33]。俳優として最初に注目された映画出演作は『fr:Black Mic-Mac』(1986年、fr:Thomas Gilou監督)。日本語の典拠にはフェリシテをヴィンセントの「妹」とする記事もあるが[4]、フェリシテは1961年5月生まれとされており[32]、1964年生まれのヴィンセントがフェリシテの弟で末っ子と考えるのが妥当である[21]。なお、いずれの典拠もヴィンセントを四人きょうだいとする点は一致している。
出典
[編集]- ^ a b 和崎春日「相互浸透のフィールドワーク : 在アフリカ日本人と在日アフリカ人の往還」『三田社会学』第15号、三田社会学会、2010年7月、65頁、CRID 1050845763874742656、ISSN 1349-1458。 ※「長男」とあるがおそらく情報不足による誤り。
- ^ a b c 和崎春日「人類学方法論としての日本-アフリカ邂逅誌 : 日本-カメルーン往還のフィールドワーク」『貿易風』第9巻、中部大学国際関係学部、2014年4月、1-2, 13、CRID 1050282813525772800、ISSN 1880-9065。
- ^ a b c 和崎春日「在日アフリカ人民衆の商業ネットワーク : 在日カメルーン人が創る地球規模のつながり」『一般教育論集』第47号、愛知大学一般教育論編集委員会、2014年9月、44-45, 52、CRID 1050845762648785152、ISSN 0916-0159。 ※論文中に“常磐津”と記すが“新内”の誤り。常磐津の語を三味線全般を指して用いたものかと思われる。
- ^ a b c d e 菅 光 (アサヒ・コム編集部)「東京国際映画祭で女優賞、フェリシテ・ワッシーの世界」『朝日新聞DIGITAL』朝日新聞社、2008年10月26日。2024年2月19日閲覧。「カメルーンやパリからも遠く離れた日本には、3番目の兄ヴェンサン(ビンセント)がいる。「おばあちゃん子だったので、一人だけヤウンデに残った」3番目の兄は94年、パリを経由せずに日本へ向かった。次兄と同じドラマーの彼は今、東京で三味線を習得し、日本のメロディーとカメルーンのリズムを重ね合わせる音楽を探究している。」 ※文中の「ヴェンサン(ビンセント)」がヴィンセントを指す。「3番目の兄」は誤り。おそらくフェリシテの弟がヴィンセント。
- ^ 「なら・外国文化交流のつどい」(pdf)『奈良しみんだより』第1047号、奈良市、2008年2月、2024年2月21日閲覧。「ワッシー・ビンセントさん プロフィール: カメルーン音楽大使。1994年に来日後、三味線と出会い、新内流家元に弟子入りする。三味線とパーカッションを見事に融合させ、日本とアフリカの新しい接点を作り出している。」 ※pdf配布元は奈良市ウェブサイト「奈良しみんだより 平成20年(2008年)」ページ。
- ^ a b c d e “あそびキャンプ2020 講師紹介〜最終回〜ワッシー・ヴィンセント・ジュニアさん”. Casaそら (2020年11月4日). 2024年2月19日閲覧。 “ワッシーさんのプロフィールは、[...] いただいたものがあるので、ご紹介します。”
- ^ a b “カメルーン人の三味線マスターと一緒に演奏しませんか?”. はぴままカフェ. はぴまま実行委員会 (2011年8月28日). 2024年2月21日閲覧。 “学校でのコンサートやワークショップ、国際交流イベントでの演奏など、カメルーンの文化を伝える「草の根大使」としても活躍中です。”
- ^ a b 原 裕司「草加のカメルーン人、三味線とドラムで母国と日本を応援」『朝日新聞DIGITAL』朝日新聞社、2010年6月10日。2024年2月19日閲覧。
- ^ “三味線奏者・富士松ワッシーさん”. SUNSTAR WEEKEND JOURNEY - Fm yokohama 84.7. 横浜エフエム放送株式会社 (2014年6月15日). 2024年2月20日閲覧。 “アフリカ・カメルーン出身で、埼玉県草加市在住の三味線奏者・富士松ワッシーさんに三味線の魅力を伺いました。”
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- ^ 小川さやか「書評:野元美佐.『アフリカ都市の民族誌:カメルーンの「商人」バミレケのカネと故郷』明石書店, 2005年, 310p.」『アジア・アフリカ地域研究』第5巻第1号、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、2005年10月、CRID 1050282677039572736、hdl:2433/80048、ISSN 1346-2466。
- ^ wouassi (2007年6月7日). “バミレケ”. 「わし、ワッシー!」Wouassi and Roots Bandのブログ. 2024年2月21日閲覧。 “ワッシーのお母さんはバンガンテ、お父さんはバファン。”
- ^ a b c Matthias Ley (2008年4月27日). “【PROFILE】In My Viewfinder : Wouassi Plays the Samisen Like an African Drum” (英語). asahi.com:Asahi Weekly. 朝日新聞社. 2024年2月21日閲覧。
- ^ a b c d 肥沼和之 (2021年11月17日). “「自分の決めた道だから幸せ」音色に惹かれ、三味線の名取に…カメルーン出身・ワッシーさん”. 弁護士ドットコムニュース. 弁護士ドットコム株式会社. 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b c “富士松ワッシー”. 鑑賞企画オフィスミキ. 鑑賞企画オフィスミキ. 2024年2月19日閲覧。 ※『サンケイスポーツ』2002年11月24日記事「新内三味線 カメルーン人が名取に」掲載。
- ^ 神野栄子 (2019年10月13日). “伝統芸能 究める外国人 : 三味線 ワッシー・ビンセントJr.(カメルーン) 「新内はブルース」”. 東京新聞 TOKYO Web. 中日新聞東京本社. 2024年2月21日閲覧。
- ^ a b c 「カメルーン人が名取に/新内三味線、大阪で初披露」『四国新聞』四国新聞社、2002年11月23日。2024年2月19日閲覧。
- ^ a b 「カメルーン出身ワッシー 新内節の名取「菊和志」に 来月4日に披露目」『東京新聞』中日新聞東京本社、2021年4月23日。2024年2月19日閲覧。
- ^ a b “ワッシー来日25周年ライブは大盛況でした”. ハーモニカな日乗 (2018年4月17日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b c TOSHIO MATSUBARA (2016年7月). “三味線に魅せられて|なぜここに外国人”. Public Relations Office - Government of Japan. 政府広報オンライン. 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b “♪ワッシー先生が取材を受けました♪|MUSIC JOY 渋谷の教室だより”. 宮地楽器 音楽教室. 株式会社宮地商会 (2020年9月4日). 2024年2月21日閲覧。 “渋谷でドラム&カホンのレッスンを担当しているワッシー先生が、NHKワールド「Where We Call Home」の密着取材を受けました”
- ^ wouassi. “カテゴリ:メディア出演情報”. 「わし、ワッシー!」Wouassi and Roots Bandのブログ. 2024年2月21日閲覧。
- ^ “バンドインフォメーション《ま》: Mt.デリシャス”. LIVE HOUSE enn. 有限会社エン (2009年1月). 2024年2月20日閲覧。 “2007年8月 [...] コンガにカメルーン人のワッシー・ヴィンセント・Jr.を迎え、よりグルーヴィーになったセカンドアルバム『太陽に還ろう』発売。”
- ^ wouassi (2018年2月3日). “ワッシー来日25周年記念ライブ!”. 「わし、ワッシー!」Wouassi and Roots Bandのブログ. 2024年2月20日閲覧。 “ワッシー25周年記念ライブのチラシが完成しました!”
- ^ マーサメリー (2010年5月17日). “アフロ三味線 Wouassi and Roots Band「音を楽しむ」”. マーサメリーの「10の質問」. 2024年2月19日閲覧。
- ^ “参加アーティストArtist: 荒井 康太”. 芸術家と子どもたち Children Meet Artists. 特定非営利活動法人 芸術家と子どもたち. 2024年2月20日閲覧。 “その後、アフリカを代表するカメルーンのドラマーBrice wassyの演奏に衝撃を受け、Briceとその弟Vincent wouassiに師事。”
- ^ a b c d e Larkin, Colin., ed (2016). “Wassy Brice” (英語). The Encyclopedia of Popular Music (4 ed.) (Oxford University Press). ISBN 9780857125958 2024年2月20日閲覧。.
- ^ a b “Artist: Brice Wassy” (英語). M2KR. MELT 2000. 2024年2月20日閲覧。 “Cameroonian Brice Wassy would play traditional rhythms such as the mangembeu on makeshift instruments growing up in Yaounde. [...] Balengu isn’t the village where Wassy grew up. It’s one of the villages in the anea he comes from.”
- ^ Brice Wassy - IMDb
- ^ a b c “BRICE WASSY” (フランス語). Baiser Salé - Jazz Club. 2024年2月22日閲覧。
- ^ a b Félicité Wouassi - IMDb
- ^ a b Ministère de la Culture et de la Communication (2010年1月). “Nominations dans l'Ordre des Arts et Lettres - janvier 2009” (フランス語). Ministère de la Culture et de la Communication. République Française. 2024年2月21日閲覧。 “ARTICLE 3 – Sont nommés au grade de chevalier dans l'ordre des Arts et des Lettres : [...] ・Madame Félicité LEUMAHA-SIECAPEN-WOUASSI épouse WOUASSI Actrice”
- ^ “歴代受賞結果 : 第21回(2008) 受賞結果”. TIFF HISTORY 東京国際映画祭の輝かしき軌跡をたどる. 東京国際映画祭オフィシャルサイト (2016年). 2024年2月20日閲覧。 “最優秀女優賞 Best Actress Award: フェリシテ・ウワシー (『がんばればいいこともある』) / Félicité Wouassi / With a Little Help from Myself”
関連項目
[編集]- アフリカの音楽
- カメルーンの歴史#フランス領カメルーン - カメルーンはアフリカ分割過程で1884年にドイツ植民地化され、1922年からその大部分がフランス植民地となった(東カメルーン)。1960年1月1日、カメルーン共和国独立(西部は翌1961年、イギリスから独立)。
- バミレケ諸語 - バミレケ族によって話されている言語グループ。
- 新内節 - 三味線を伴奏楽器とする浄瑠璃の一流派。現在の富士松派は新作を多数書き下ろした新内節中興の祖・初世富士松加賀太夫(のち初世富士松魯中)による再興に始まる。
外部リンク
[編集]- 「わし、ワッシー!」Wouassi and Roots Bandのブログ - バンドの公式ブログ。