富山市民プラザ
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株式会社 富山市民プラザ Toyama Shimin Plaza | |
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情報 | |
用途 | 芸術文化、生涯学習、イベント、商業施設等 |
設計者 | 株式会社槇総合計画事務所 |
施工 | 佐藤工業 |
事業主体 | 株式会社富山市民プラザ |
構造形式 | 鉄筋コンクリート造り |
敷地面積 | 6,002 m² |
建築面積 | 4,283 m² |
延床面積 | 22,702 m² |
階数 | 地上4階(一部7階)、地下2階 |
高さ | 41.75m |
着工 | 1988年(昭和63年)1月8日 |
竣工 | 1989年(平成元年)12月16日 |
開館開所 | 1989年(平成元年)12月17日 |
所在地 |
〒930-0084 富山県富山市大手町6番14号 |
座標 | 北緯36度41分25.5秒 東経137度12分39.4秒 / 北緯36.690417度 東経137.210944度座標: 北緯36度41分25.5秒 東経137度12分39.4秒 / 北緯36.690417度 東経137.210944度 |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒930-0084 富山県富山市大手町6番14号 |
設立 | 1987年(昭和62年)7月8日[1] |
法人番号 | 7230001002032 |
事業内容 |
不動産賃貸事業 駐車場運営事業 コミュニティバス運営事業 ほか |
代表者 |
取締役会長 森雅志[1] 代表取締役社長 京田憲明[1] |
資本金 | 35億5000万円(2021年時点) |
売上高 |
10億4099万1000円 (2023年3月期)[2] |
営業利益 |
▲6174万9000円 (2023年3月期)[2] |
経常利益 |
5008万5000円 (2023年3月期)[2] |
純利益 |
6,100万円 (2024年3月期)[3] |
総資産 |
60億4,100万円 (2024年3月期)[3] |
従業員数 | 40人(2021年時点) |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 |
富山市 中小企業基盤整備機構 富山商工会議所 ほか |
外部リンク | https://www.siminplaza.co.jp/ |
富山市民プラザ(とやましみんプラザ、Toyama Shimin Plaza)は、富山県富山市大手町(大手モール)にある複合施設である。公共機関、民間の商業施設が入居し、富山市中心市街地の活力を高め、賑わいを取り戻すための都市空間の構築を目的とし建設された[4]。コンセプトを「生活価値創造」としている[1]。
なお、同地はかつて富山城の富田下総屋敷であった場所である[5]。
概要
[編集]富山市中心部の大手町にあった富山市民病院移転跡地に、市制100周年事業の一環として槇文彦の設計により1989年(平成元年)12月16日に完成し、12月17日に開館した建物で[6]、音楽用ホール(アンサンブルホール)、富山外国語専門学校や富山市民学習センター、レンタルギャラリースペース、マルチスタジオ、多目的ホールなどの生涯学習、文化・美術施設、またスポーツクラブ、各種商業施設など公共・民間の施設が入居している[4]。 また、SCRAP主催の体験型ゲームイベントリアル脱出ゲーム全国ツアー富山公演の会場として富山県総合福祉会館とともに使用されている[要出典]。
沿革
[編集]- 1986年(昭和61年)6月6日 - 富山市議会総務文教委員協議会に、市民プラザを旧富山市民病院跡に建設する構想を提示[7]。
- 1987年(昭和62年)
- 3月18日 - 富山市民プラザに関する地元説明会が開催される[8]。
- 7月7日 - 株式会社富山市民プラザが、創立総会を開催し発足する[9]。払込資本金は5億5千万円[9][10]。筆頭株主の富山市が7割4分、北陸銀行および北陸電力が5分、日本海ガス、富山地方鉄道、富山相互銀行(当時、現在の富山第一銀行)が2分7厘の割合で出資したほか、富山商工会議所、インテック、富山化学工業(当時、現在の富士フイルム富山化学)、日本医薬品工業(当時、現在の日医工)、北陸電気工事、武内プレス工業、広貫堂および日本海石油が出資した[9][10][11]。これにより、市民学習センター(旧富山市民病院)は同年11月から解体されることになった[12]。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1993年(平成5年)8月25日 - 富山市民プラザがその愛称を「アーティル」とする旨を決定する[18]。これは「アート・イン・ライフ(生活中の芸術)」の意よりとられた造語で、市内在住の主婦の応募による命名であった[18]。
- 1994年(平成6年)3月18日 - 富山市民プラザが公共建築協会により第4回公共建築賞を受賞[19]。
- 1997年(平成9年)5月25日 - スウェーデン王国国王カール16世グスタフ及び同国国王妃シルヴィアが、富山市民プラザ内にて行われていた「スウェーデン現代工芸展」を叡覧する[20]。
- 2001年(平成13年)12月13日 - 富山市民プラザ内にアジア雑貨店、東洋料理店及び花屋が入居する[21]。
- 2010年(平成22年)8月20日 - 初めて同日より同月22日まで富山市民プラザにおいて富山こすぷれフェスタを開催する[22]。
- 2019年(平成31年)4月1日 - タウンマネージメント機関(TMO)の株式会社まちづくりとやまを吸収合併し、まちづくりとやま事業部(現在のまちづくり事業部)を設立[23]。まちづくりとやまが運営していたコミュニティバス「まいどはや」(富山地方鉄道に委託運行)の運営を継承[24]。
主な施設
[編集]地下2階
[編集]- 地下駐車場
地下1階
[編集]- ファインミュージックスクール(音楽教室)
- スタジオファイン(音楽演習所)
- 地下駐車場
地上1階
[編集]- グンゼスポーツ富山(会員制スポーツクラブ)
- 陶芸工房コネル(陶芸)
- グローブ・ココ(服・雑貨)
- チリングスタイル(服・雑貨)
- GALLERY Ai(服・雑貨)
- ナチュラルラボ(美容)
- パケ・ドゥ(花屋)
- アトリエモニ(服・雑貨)
- ベビー&キッズ オヴィ(ファッション・雑貨)
- カフェ&スペースまるーむ(カフェ&フード)
- 総曲輪公民館
地上2階
[編集]- MAX21(按摩)
- ホームメイドクッキング富山教室(料理教室)
- シュラスコトヤマ(カフェ&フード)
- アトリウム(内部公開空地)
- ふれんどる(多目的ホール)
- アートギャラリー(多目的ホール)
地上3階
[編集]- 勤労者福祉サービスセンター
- 市民学習センター
- マルチスタジオ(多目的ホール)
- AVスタジオ(貸会議室)
地上4階
[編集]- 市民学習センター
- アンサンブルホール(最大308席を有する音楽ホール)
地上5階より地上7階
[編集]以前あった施設
[編集]- トヤマグラスアートギャラリー
受賞歴
[編集]富山市民プラザは過去に以下の賞を受けている[1]。
- 1990年(平成2年)
- 5月 - 平成2年度市街地再開発等関係功労賞
- 6月 - 平成2年度まちづくり功労賞
- 12月 - 平成2年度中部建築賞
- 1991年(平成3年)7月25日 - 第32回建築業協会賞(BCS建築賞)[26]
- 1993年(平成5年)11月 - 第4回公共建築賞 北陸地区優秀賞
- 1994年(平成6年)5月 - 第4回公共建築賞(生活施設部門)
周辺の主な施設・店舗
[編集]太字は富山市民プラザが運営する施設。
交通アクセス
[編集]鉄軌道
[編集]乗合自動車
[編集]自家用車
[編集]関連施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 会社概要 - 富山市民プラザ
- ^ a b c 株式会社富山市民プラザ 第36期決算公告
- ^ a b 株式会社富山市民プラザ 第37期決算公告
- ^ a b 富山大百科事典編集事務局編、『富山大百科事典下巻 た~ん』、1994年(平成6年)8月、北日本新聞社[要ページ番号]
- ^ 『特別展 富山城の歴史展』(1994年7月16日、富山市教育委員会発行)43頁。
- ^ a b 北日本新聞 1989年12月17日付22面『中心街、32万人に"憩いの場" 富山市民プラザが完成』より
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)712頁。
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)714頁。
- ^ a b c 「社長に正橋富山市長、第3セクターの富山市民プラザ設立」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1987年(昭和62年)7月8日、日本経済新聞社
- ^ a b c d 「富山市民プラザきょうオープン」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1989年(平成元年)12月17日、日本経済新聞社
- ^ 「富山市民プラザ、1月着工で7月に第三セクター――北陸電など12社も出資」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1987年(昭和62年)5月28日、日本経済新聞社
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)715頁。
- ^ 「富山市民プラザ着工、雑貨店街や文化施設――都心活性化図る」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1988年(昭和63年)1月9日、日本経済新聞社
- ^ 「富山市民プラザ、総合商業施設を建設――美術館・公民館も入居」、『日経流通新聞』12頁、1988年(昭和63年)1月19日、日本経済新聞社
- ^ 「富山市民プラザ、7月12日からテナントを募集」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1988年(昭和63年)6月10日、日本経済新聞社
- ^ 太田浩史・乾久美子、「【第4回】[訪問対談]Learning from 富山市 ──まちはデザインで変わる」、テンプラスウェブサイト、LIXIL出版
- ^ 「建築家の使命変わらず」 プリツカー賞の槙さん・坂さん講演[リンク切れ]、『北日本新聞』2015年(平成27年)10月7日、北日本新聞社
- ^ a b 「富山市民プラザ、「アーティル」と愛称決定」、『日本経済新聞』地方経済面北陸8頁、1993年(平成5年)8月26日、日本経済新聞社
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)730頁。
- ^ 「スウェーデンの国王夫妻が来県 美術展など見学」、『朝日新聞』朝刊富山、1997年(平成9年)5月26日、朝日新聞社[要ページ番号]
- ^ 「市民プラザ(次代へつなぐ 富山市長選を前に上)」、『朝日新聞』朝刊富山1、2002年(平成14年)1月11日、朝日新聞社[要ページ番号]
- ^ コスプレイヤー集う 富山でフェスタ[リンク切れ]、『北日本新聞』2010年(平成22年)8月21日、北日本新聞社
- ^ 第33期(平成31年度)事業計画 (PDF) - 富山市民プラザ
- ^ “来年4月 運賃値上げ まいどはやバス コロナで利用者減”. 北陸中日新聞Web. (2020年11月19日). オリジナルの2020年11月18日時点におけるアーカイブ。 2021年12月21日閲覧。
- ^ バスで美術・博物館周遊 4月から地鉄が運行[リンク切れ]、『北日本新聞』2015年(平成27年)2月19日、北日本新聞社
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)724頁。
- ^ “ゴールできるかな…巨大な「ダンボール迷路」”. 読売新聞オンライン. (2021年2月21日). オリジナルの2021年2月21日時点におけるアーカイブ。 2021年12月21日閲覧。
- ^ “【富山】氷なくてもスイスイ 総曲輪「エコリンク」営業開始”. 中日旅行ナビぶらっ人 (2021年12月14日). 2021年12月21日閲覧。
- ^ “富山の商店街を拠点にカルチャーを発信。感性を刺激する、田辺和寛さんのまちづくり”. ひとまち結び(日経BP・NTTアーバンソリューションズ) (2021年1月27日). 2021年12月21日閲覧。
- ^ “コロナ禍 映画で心豊かに 開業目指す 新ミニシアター「ほとり座」”. 北陸中日新聞Web. (2020年5月21日). オリジナルの2020年7月20日時点におけるアーカイブ。 2021年12月21日閲覧。
- ^ a b アクセス - 富山市民プラザ
- ^ a b 駐車場 - 富山市民プラザ
- ^ 『北日本新聞』2010年10月22日付朝刊26面『人気 街なか野菜直売 富山「地場もん屋」きょう開店 3店そろいにぎわい創出』
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 富山市民プラザ
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