富岡村 (宮城県)
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とみおかむら 富岡村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月20日 |
廃止理由 |
新設合併(分割) 富岡村(一部)、村田町、沼辺村 → 村田町 富岡村(一部)、川崎町 → 川崎町 |
現在の自治体 | 村田町および川崎町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 柴田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 50.79 km2. |
総人口 |
4,207人 (『宮城県町村合併誌』、1955年4月19日) |
隣接自治体 |
柴田郡:川崎町、村田町、槻木町 名取郡:岩沼町、名取町、生出村、秋保村 |
富岡村役場 | |
所在地 | 宮城県柴田郡富岡村 |
座標 | 北緯38度10分20秒 東経140度43分02秒 / 北緯38.17214度 東経140.71717度座標: 北緯38度10分20秒 東経140度43分02秒 / 北緯38.17214度 東経140.71717度 |
ウィキプロジェクト |
富岡村(とみおかむら)は、昭和30年(1955年)まで宮城県柴田郡北東部にあった村。現在の村田町菅生および川崎町支倉・支倉台にあたる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、支倉村と菅生村が合併して富岡村が発足。
- 1955年(昭和30年)4月20日 - 旧・支倉村域(37.05㎢、2,747人)が川崎町と合併して新制の川崎町の一部に、旧・菅生村域(13.74㎢、1,460人)が村田町・沼辺村と合併して新制の村田町の一部になる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 高橋勝治 | 1889年(明治22年)4月 | 1901年(明治34年)4月 | |
2 | 佐藤今朝治 | 1901年(明治34年)4月 | 1907年(明治40年)12月 | |
3 | 八巻孫左衛門 | 1908年(明治41年)2月 | 1917年(大正6年)8月 | |
4 | 大野市左衛門 | 1917年(大正6年)10月 | 1929年(昭和4年)11月 | |
5 | 河野幸蔵 | 1929年(昭和4年)11月 | 1934年(昭和9年)1月 | |
6 | 佐藤幸七 | 1934年(昭和9年)2月 | 1938年(昭和13年)3月 | |
7 | 佐山栄三郎 | 1938年(昭和13年)3月 | 1946年(昭和21年)3月 | |
8 | 佐藤幸七 | 1946年(昭和21年)3月 | 1947年(昭和22年)4月 | 再任 |
9 | 富田廣重 | 1947年(昭和22年)4月 | 1955年(昭和30年)4月19日 |
地域
[編集]人口
[編集]1920年 | 3,005人 | |
1925年 | 3,177人 | |
1930年 | 3,381人 | |
1935年 | 3,400人 | |
1940年 | 3,334人 | |
1947年 | 4,090人 | |
1950年 | 4,162人 |
※国勢調査による
教育
[編集]- 富岡村立菅生小学校
- 富岡村立支倉小学校
- 富岡村立支倉小学校小沢分校
- 富岡村立富岡中学校
参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)
- 『川崎町史』通史編(宮城県柴田郡川崎町、1975年)
- 『村田町史』(宮城県柴田郡村田町、1977年)