寳晃院
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寳晃院 | |
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山門(2016年4月) | |
所在地 | 東京都西東京市住吉町1-6-5 |
位置 | 北緯35度44分27.7秒 東経139度32分57.5秒 / 北緯35.741028度 東経139.549306度座標: 北緯35度44分27.7秒 東経139度32分57.5秒 / 北緯35.741028度 東経139.549306度 |
山号 | 金輪山[1] |
院号 | 寳晃院 |
宗派 | 真言宗智山派[2] |
本尊 | 不動明王[1] |
創建年 | 不詳 |
中興 | 俊快僧都[2] |
正式名 | 金輪山寳晃院明王寺 |
別称 | 寺号:明王寺[1] |
札所等 | 多摩88ケ所霊場第36番札所[2] |
文化財 |
木彫彩色倶利迦羅不動明王像、 水子地蔵菩薩立像 |
公式サイト | 宝晃院 |
法人番号 | 3012705000444 |
寳晃院(ほうこういん)は、東京都西東京市住吉町にある真言宗智山派の寺。宝晃院と記されることもある。
山号は金輪山と号し、本尊には不動明王を祀る。本山は練馬区石神井台の三宝寺[3]、総本山は京都市東山区の智積院。
如意輪寺、寶樹院、東禅寺と合わせて保谷四軒寺と呼ばれる(以前は当寺、如意輪寺、寶樹院、西光寺(現総持寺)だったが、西光寺移転後は東禅寺となる)[4]。また、多摩八十八ヶ所霊場の三十六番札所である。
歴史
[編集]開基・開山などは不詳であるが、俊快僧都(1647年(正保4年)入寂)を中興の祖としており、400年以上の歴史があると考えられる[2]。
明治以前は上保谷村総鎮守の尉殿権現(現・尉殿神社)、上保谷新田の粟嶋明神(現・阿波洲神社)、境村の杵築大社など六社の別当寺であった。また、江戸時代末期より寺小屋を開設していた[2]。
文化財
[編集]- 木彫彩色倶利迦羅不動明王像 - 西東京市指定文化財第31号
- 江戸時代前期頃の造立。尉殿権現社(現尉殿神社)に祀られていた仏像の神体である。1868年(明治元年)の神仏分離令によって、権現号と共にその信仰を禁止(廃仏)されたため、氏子によって保存され、当寺に収蔵されている。
- 水子地蔵菩薩立像 - 西東京市指定文化財第35号
- 僧直道が悲願を立て廻国する途上、1771年(明和8年)建立したもの。水子を救済する地蔵菩薩の説話を元に、絵画風の構図を一石に彫刻している。1967年(昭和42年)に東京都教育委員会が三越日本橋本店で開催した『石の地蔵さま展』に出展された。
交通
[編集]ギャラリー
[編集]-
本堂
(2016年4月10日撮影) -
寺標
(2016年4月10日撮影) -
水子地蔵菩薩立像
(2016年4月10日撮影) -
地蔵菩薩坐像
(2016年4月10日撮影)
脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “宝晃院”. 公式ホームページ. 2021年3月7日閲覧。
- 西東京市指定文化財第31号 木彫彩色倶利迦羅不動明王像
- 西東京市指定文化財第35号 水子地蔵菩薩立像