寺崎城
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寺崎城 (千葉県) | |
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寺崎城 | |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 千葉輔胤? |
遺構 | 土塁、櫓台 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度42分27.0秒 東経140度12分35.8秒 / 北緯35.707500度 東経140.209944度座標: 北緯35度42分27.0秒 東経140度12分35.8秒 / 北緯35.707500度 東経140.209944度 |
地図 |
寺崎城(てらさきじょう)は、千葉県佐倉市寺崎にあった日本の城。
歴史
[編集]千葉城を追われた千葉氏が本佐倉城に移るまでの一時期、居城したといわれる城である。
城跡とされる密蔵院の境内に設置された石碑によると、自刃した千葉胤直の嫡子胤将が諸々に逃れ、寺崎に城を築いて居城したとある。
一方、「七仏薬師如来由来記」には、「千葉之介輔胤、上総寺崎より千葉郡平山の郷に来りて住居す。(中略)後、勝胤、佐倉根小屋の城に入る」とあり[1]、「上総」は「下総」の誤記だと考えられている。
また、「千学集抜粋」によれば、「康胤御子胤持、輔胤、孝胤、勝胤まで以上5世は平山に在しければ、平山よりご参詣在りて、妙見宮にて御元服也。(中略)屋形様千葉より平山へ御越し、又長崎へ移らせらる。孝胤(中略)平山に居り佐倉へ御上り也」とあり[2]、「長崎」は「寺崎」の誤記だと考えられている。
構造
[編集]土塁、櫓台のようなものが一部残るが、全体の構造は不明である。「日本城郭大系」には、「寺崎地区には城址らしいものがなく」「寺崎城というのは用替ヶ丘砦(太田用替城)のことではないか」と書かれており[3]、本当に密蔵院のある場所が城跡なのかどうか、判然としない部分もある。