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小宮氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小宮氏
(家紋)
本姓 日奉朝臣
藤原北家道長流?
源氏
家祖 小宮通経
種別 武家
出身地 武蔵国多摩郡秋留郷小宮村
主な根拠地 武蔵国多摩郡秋留郷小宮村
伊予国弓削島
肥前国
筑後国
著名な人物 小宮通経
支流、分家 深掘氏武家
垣内氏武家
光増氏武家
凡例 / Category:日本の氏族

小宮氏(こみやし)は、鎌倉時代以来の武蔵国出身の武家。伊予国肥前国筑後国でも活動した。

出自

[編集]

日奉西党の系図によると、日奉宗頼の5世孫・上田三郎某の次男の小宮重行が祖とされる。『吾妻鏡』には、小宮七郎(建久元年(1190年、建久6年(1195年)や小宮五郎左衛門尉(嘉禎4年(1238年))といった名前が見える。「東寺百合文書」には、系図で重行の子とされる小宮久行(久行法師)を筆頭に小宮景行(三郎兵衛尉)、西縁(兵衛次郎入道)、小宮頼行(又三郎)、小宮茂忠(左衛門四郎)、小宮茂広(三郎次郎)の名前が見え、実在が確認されており、武蔵国多摩郡秋留郷の地頭を務めていた小宮氏が新補地頭として承久の乱以後に西遷したと考えられる[1]

日奉宗頼
 
 
 
日奉宗親
 
 
 
日奉宗忠
 
 
 
日奉宗貞
 
 
 
西宗綱
 
 
 
上田三郎某
 
 
 
小宮重行
 
 
 
小宮久行
 
 
 

一方、『東川副村誌』所収の垣内氏系図によると、藤原道長の孫・藤原通信の三男で日向通良[注釈 1]の弟の小宮三郎通経が祖とされる[3]。通経は秋留郷の地頭職を務めており、子の小宮経広、三郎兵衛尉、四郎左衛門尉も秋留郷周辺の立矢村、小塩村、井野村に住んだ。経広の子は小宮経行小宮景広・小宮右衛門五郎などがおり、肥前国高来郡福田村や伊佐早荘田給・河副荘光法名に移住した[4]南北朝時代初期には肥前国内の地頭として小宮三郎通広が確認できる[5]

藤原道長
 
 
 
(名不詳)
 
 
 
藤原通信
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小宮通経
三郎
藤原幸通日向通良
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小宮経広(三郎兵衛尉)(四郎左衛門尉)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小宮経行
又四郎
小宮景広
右衛門三郎
右衛門五郎
 
 
 
(名不詳)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小宮西円
六郎兵衛尉
小宮幸準
兵庫房
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小宮亀益
又四郎
右近允次郎
 
 
 
(名不詳)
 
 
 
垣内広元
 
 
 

日奉氏の出自

[編集]

『柳川市史』によると、柳川市の小宮氏は日奉姓であり、筑後国三池郡日奉郷から移住したという[6]福岡県三池郡高田町(現・みやま市)の『高田町誌』によると、「宝満神社由緒記」に「保安2年(1121年)御木国造[注釈 2]の後裔高木城主宇治正連の孫、宇治正永の臣日奉邑(中略)城主日奉臣高田」とあるとされる。また、「旧記に云ふ」として、日奉氏の系譜が記されている。その系譜は以下の通りである[7]

高皇霊尊[注釈 3][注釈 4]
 
 
 
(数代不明)
 
 
 
日奉連[注釈 5]
 
 
 
(17代不明)
 
 
 
小宮和泉守源日奉臣[注釈 6]
 
 
 
小宮駿河守源日繁
 
 
 
小宮長門守源日虎
 
 
 
小宮長門守源日名
 
 
 
小宮長門守源日之
 
 
 
小宮長門守源日久
 
 
 
小宮長門守源日次
 
 
 
小宮長門守源日治
 
 
 
小宮長門守源日倍
 
 
 

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 肥前国にて平治元年(1159年)に平清盛や肥前国衙に対し反乱を起こしたため討伐された[2]
  2. ^ 『日本書紀』景行天皇秋七月辛卯朔甲午、到筑紫後國御木、居於高田行宮。
  3. ^ 高御霊尊之後胤日奉連矣。
  4. ^ 『新撰姓氏録』には「左京 神別 天神 日奉連 高魂命之後也」とある。
  5. ^ 人皇五十二代淳和天皇御宇弘仁年乎。故日奉連到筑紫後国而賜於三百町封戸哉。所曰日奉江也。茲構城擲使日奉連住居干 此。
  6. ^ 為三年勤香矣者也。時人皇七十四代鳥羽院近臣大納言源有仁任内大臣。賜源氏於小宮和泉守日奉焉。即称源日奉臣而同八月上旬帰国筑州三池郡日奉江之本城。同年高木城主宇治正永神主。与日奉之城主源日奉臣。戮力一心而同月九日□高田之櫪木之控而迂向宝満宮於日奉江(新賀江)之霊壇矣。宮柱太敷立而、安置於大神左右相殿春日、住吉、崇新賀江庄七百五十町海内城主産子鎮護大神哉、神領数多而四時之祭祀執行之、時使宇治正水神主為大宮司与源日奉□宮□者矣也。

出典

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  1. ^ 湯山学「武蔵西党の小宮氏[1]」たましん地域文化財団「多摩のあゆみ」第25号 p18(昭和56年11月15日(1981年))
  2. ^ 正木喜三郎『大宰府領の研究』(文献出版、1911年)
  3. ^ 佐賀市「荘園制の拡大と武士の抬頭 - 佐賀市 [2]
  4. ^ あきる野市教育委員「郷土あれこれ[3]」第16号(あきる野市、2006年)
  5. ^ 湯山学「武蔵西党の小宮氏[4]」たましん地域文化財団「多摩のあゆみ」第25号 p18(昭和56年11月15日(1981年))
  6. ^ 柳川市史編集委員会編『柳川市史』(柳川市、2001年)
  7. ^ 高田町『高田町誌』(高田町、1958年)