コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小川宗直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川 宗直
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県瀬戸市
生年月日 (1962-05-23) 1962年5月23日(62歳)
身長
体重
179 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 ドラフト3位
初出場 NPB/1987年4月10日
CPBL/1992年3月25日
最終出場 NPB/1990年6月5日
CPBL/1992年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

小川 宗直(おがわ むねなお、1962年5月23日 - )は、愛知県瀬戸市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

[編集]

享栄高では、エースとして1980年夏の甲子園県予選決勝に進むが大府高に完封負け[2]。名古屋商科大に進学し、愛知大学野球リーグでは在学中2回優勝。リーグ通算48試合に登板し9勝13敗を記録した[1]

大学卒業後は社会人野球の大仙を経て、1986年プロ野球ドラフト会議西武ライオンズから3位指名を受け入団[1]。横手投げで、スライダー、カーブ、速球が売りの即戦力投手として評価されていた。

1年目に開幕一軍入りを果たし、中継ぎ・ワンポイントで好投を見せ、その実績を買われ5月には先発を任されるが戦力とはならず二軍降格となる。その後も制球難から一軍に定着できず、1989年11月広橋公寿と共に宮下昌己大宮龍男との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍[1]

しかし中日での登板は僅か1試合に留まり、1990年11月岡田耕司との交換トレードで近鉄バファローズに移籍[1]。近鉄では二軍でも戦力になれず、一軍出場のないまま1991年オフに退団[1]

1992年中華職業棒球大聯盟の味全ドラゴンズに入団するも、シーズン途中で解雇され、その年限りで現役引退[1]

引退後は、2004年より社会人野球名古屋お茶の水医専学院・名古屋ウェルネススポーツカレッジのコーチを務めていた。2007年より、社会人野球のNAGOYA23の監督に就任するが、川又米利総監督が正式に監督になったため助監督に降格。なお、NAGOYA23は川又の退団後に湊川誠隆が監督を引き継ぎ、チーム名をマッシモンテベースボールクラブに変更した。その後、マッシモンテベースボールクラブは2014年6月4日付けで、活動を休止することになった。

現在は、母校・享栄高校野球部投手コーチ。中日ドラゴンズジュニアチームのコーチも務めている。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1987 西武 6 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 33 7.1 9 0 3 0 0 8 0 0 4 4 4.91 1.64
1988 8 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 37 7.1 9 1 7 1 0 5 0 0 3 3 3.68 2.18
1989 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 26 6.1 4 2 3 0 0 3 0 0 2 2 2.84 1.11
1990 中日 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 8 2 2 1 1 0 0 1 0 0 2 2 9.00 1.50
1992 味全 6 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 41 9.2 13 0 3 0 0 1 0 0 6 6 5.59 1.66
NPB:4年 22 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 104 23 24 4 14 1 0 17 0 0 11 11 4.30 1.65
CPBL:1年 6 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 41 9.2 13 0 3 0 0 1 0 0 6 6 5.59 1.66

記録

[編集]
NPB

背番号

[編集]
  • 34 (1987年 - 1989年、1992年)
  • 28 (1990年)
  • 99 (1991年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、123ページ
  2. ^ 準決勝では、後に西武でチームメイトとなる1学年下の工藤公康擁する名古屋電気に勝利。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]