小松原 (座間市)
小松原 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度29分50秒 東経139度25分44秒 / 北緯35.497267度 東経139.428781度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 座間市 |
人口情報(2023年(令和5年)8月1日現在[1]) | |
人口 | 4,834 人 |
世帯数 | 2,312 世帯 |
面積([2]) | |
0.682734742 km² | |
人口密度 | 7080.35 人/km² |
設置日 | 1974年(昭和49年)11月1日 |
郵便番号 | 252-0002[3] |
市外局番 | 046(厚木MA)[4] |
ナンバープレート | 相模 |
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小松原(こまつばら)は、神奈川県座間市の町名。現行行政地名は小松原一丁目から小松原二丁目。住居表示実施済み区域[5][6]。
地理
[編集]座間市の東部に位置し、南にひばりが丘、南西に栗原、西に広野台、北に相模が丘、東に大和市中央林間西と大和市南林間と接している。
歴史
[編集]- 1974年(昭和49年)11月1日 - 当該地域の大字小字を統合し、小松原1丁目・2丁目を新設[7][8]。(住所の表記は従来からの地番を使用(例・小松原1丁目xxxx番地の1)。
- 1997年(平成9年)10月20日 - 住居表示を実施[5][9]。(例・小松原一丁目○番1号)。
この土地は相模が丘・ひばりが丘・東原と一括りに芝原(しばあら)[10][11]と呼ばれ、旧地籍は大字座間入谷・大字四ツ谷の飛び地であった。明治32年に大字座間入谷字皆原の野口高吉と芥川松太郎が、本村から星の谷道を片道5キロの道のりを毎日歩いて通い、開墾したのが始まりである。両氏が本村から移住したのは明治38年で、両氏の名前を取って「高松新開」、あるいは本村である座間入谷皆原から移住したので「皆原新開」と言ったが、この新開が小松原と正式に小字として地籍名になったのは昭和に入ってからである。移住してもまだ電灯もなく、井戸を掘削するのに大変難儀し、本村である座間入谷皆原の野口・芥川両家親戚縁者一同総出で約25メートルの赤土(関東ローム層)を掘り抜き、やっと地下水をくみ上げることができたと伝えられている[12]。
1953年(昭和28年)、畑地灌漑用水路西幹線[13]が通水し、利用でき耕作も軌道に乗り、おもに陸稲、麦を栽培した。 1955年(昭和30年)には町営水道が完成、座間町の企業誘致により工場が進出し、並行して宅地化が進んだ。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小松原一丁目 | 801世帯 | 1,577人 |
小松原二丁目 | 1,511世帯 | 3,257人 |
計 | 2,312世帯 | 4,834人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[14] | 4,374
|
2000年(平成12年)[15] | 4,625
|
2005年(平成17年)[16] | 4,882
|
2010年(平成22年)[17] | 4,813
|
2015年(平成27年)[18] | 4,888
|
2020年(令和2年)[19] | 4,918
|
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[14] | 1,457
|
2000年(平成12年)[15] | 1,617
|
2005年(平成17年)[16] | 1,773
|
2010年(平成22年)[17] | 1,894
|
2015年(平成27年)[18] | 2,012
|
2020年(令和2年)[19] | 2,112
|
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)[20]。
丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
小松原一丁目 | 全域 | 座間市立相模野小学校 | 座間市立相模中学校 |
小松原二丁目 | 全域 | 座間市立旭小学校 | 座間市立東中学校 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[21]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
小松原一丁目 | 139事業所 | 2,436人 |
小松原二丁目 | 83事業所 | 1,403人 |
計 | 222事業所 | 3,839人 |
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[22] | 217
|
2021年(令和3年)[21] | 222
|
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[22] | 3,814
|
2021年(令和3年)[21] | 3,839
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交通
[編集]施設
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その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “町丁字別年齢別人口統計表(令和5年)” (CSV). 座間市 (2023年8月8日). 2023年8月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年8月16日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “小松原の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b “小松原地区(平成9年10月20日施行)”. 座間市. 2023年8月16日閲覧。
- ^ 不動産登記法に基づく地番整理(地番の付け直し)は実施せず。
- ^ 大字座間入谷字小松原、字向長窪の東半分、字向二ツ塚、字西二ツ塚、字平久保の一部と大字四ツ谷字二ツ塚の座間街道以南。引用元:『座間の地名・付録昭和3年刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』
- ^ 住居表示を同時実施せず、字丁目とした。
- ^ 不動産登記法に基づく地番整理(地番の付け直し)は実施せず。
- ^ 『座間むかしむかし第3集・字名の起こり』
- ^ 江戸末期の嘉永6年(1853年)、相模が丘から小松原・ひばりが丘・東原にかけて開拓がはじまった。文久年間に地割が完成し耕作が始まった。『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』『座間むかしむかし第3集・巻末座間市略年表』
- ^ 『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』
- ^ 座間町の工場誘致と宅地化が進み、役目を終え1970年(昭和45年)に通水終了。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “小・中学校の通学区域” (2022年12月7日). 2023年8月16日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。
関連項目
[編集]- 小松原(曖昧さ回避)