小松家 (奈良華族)
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小松家 | |
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丸に揚羽の蝶 | |
本姓 |
桓武平氏高棟流 西洞院庶流平松庶流 石井庶流 |
家祖 | 小松行敏 |
種別 | 奈良華族(男爵) |
著名な人物 | 小松行正 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
小松家(こまつけ)は、日本の華族(男爵家)。奈良華族の一家。通字は「行」(ゆき)。
概要
[編集]興福寺不動院の住職を務めていた石井行弘の三男が、明治元年(1868年)還俗し、明治2年(1869年)に実家の石井家に戻り、終身華族となり改めて分家して小松を称したことに始まる[1][2]。
初代行敏は明治14年(1881年)に亡くなり、10歳だった長女・八十子が家督を継承した[3]。女戸主となったため、平松時言の八男であった平松時韶を入夫として明治18年(1885年)3月2日に家督を継がせ、同年5月2日に男爵を叙された[4][5]。明治20年(1887年)5月12日、時韶は、本流の石井家と同じ通字を以て「行正」と改名した[6]。
3代行正は、明治32年(1899年)8月11日に協議離婚し、長男の行一が同年11月1日、わずか6歳で家督を継承した[3]。
4代行一は、殿掌・侍従・掌典・鎌倉宮宮司などを務め、長男の5代行好は葛原岡神社宮司を務めた[3]。
系譜
[編集]- 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 611を参照。
石井行弘 | |||||||||||||||||||||||||
〔小松家〕 小松行敏1 | |||||||||||||||||||||||||
八十子2 | 行正3 | ||||||||||||||||||||||||
行一4 | 平松祐厚 | 平松誡厚 | |||||||||||||||||||||||
行好5 | 千秋豊子 | ||||||||||||||||||||||||
行成6 | |||||||||||||||||||||||||
行宣 | |||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 『石井家譜』.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 612.
- ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 611.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻, pp. 611–612.
- ^ 『官報』第549号, p. 4, 「叙任」.
- ^ 『官報』第1159号, p. 2, 「宮廷録事:華族改名」.
参考文献
[編集]- 『石井家譜』石井行知差出、1875年。
- 『平成新修旧華族家系大成:上巻』霞会館編、吉川弘文館、1996年9月10日。
官報
[編集]- 『官報』第549号、1885年5月4日。
- 『官報』第1159号、1887年5月13日。