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小泉和裕

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小泉和裕
生誕 (1949-10-16) 1949年10月16日(75歳)
出身地 日本の旗 日本京都府京都市
学歴 東京藝術大学
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

小泉 和裕(こいずみ かずひろ、1949年10月16日[1] - )は、日本指揮者

人物・来歴

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京都府京都市生まれ。堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)卒業。東京藝術大学指揮科で山田一雄に師事[2]1970年、第2回民音指揮者コンクール第1位[2][3]

1972年10月ベルリンのホッホシューレ(現ベルリン芸術大学)に入学、ラーベンシュタイン教授にオペラ指揮法を師事[4]。1973年夏、ボストンタングルウッド音楽祭に参加。同年11月、第3回カラヤン国際指揮者コンクールに第1位受賞[1]、その後ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベルリン・デビューを飾った[4]。1975年3月に、ベルリン・フィルの定期演奏会に出演。

1976年1月に、フランス国立管弦楽団を指揮し、アルトゥール・ルービンシュタインムスティスラフ・ロストロポーヴィチとも協演。同年8月、ザルツブルク音楽祭にて、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮[5](当時の最年少記録)。その後、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団バイエルン放送交響楽団等、ヨーロッパ各地において精力的な指揮活動を行った[4]

また、アメリカにおいても、1978年ラヴィニア音楽祭シカゴ交響楽団を指揮し成功を収め[3][4]、早速1980年3月のシカゴ交響楽団定期に登場、注目を集めた。その他、ボストン交響楽団デトロイト交響楽団シンシナティ交響楽団トロント交響楽団モントリオール交響楽団など各地のオーケストラに客演[2]

ロンドンロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団には1988年より定期的に招かれ、数々の名演を残すとともにチャイコフスキーの交響曲第4、5、6番のディスクを完成させた[2]

年譜

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趣味

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ゴルフなど各種スポーツや陶芸を趣味にするほか、農作業を愛し、飛騨の農家を買い上げ畑を所有している[11]。自宅で食べる米は自分の田からとれたもので賄えるほどという。そのため近年は活動を国内に限定している。

脚註

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出典

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  1. ^ a b c d e 世界の指揮者名鑑866 2010, p. 230.
  2. ^ a b c d PROFILE”. AMATAI. 小泉和裕. 2023年3月9日閲覧。
  3. ^ a b 演奏家大事典 第Ⅰ巻 1982, p. 829.
  4. ^ a b c d e 小泉和裕”. 名古屋フィルハーモニー交響楽団. 名フィルについて. 2023年3月9日閲覧。
  5. ^ a b 終身名誉指揮者 小泉和裕”. 東京都交響楽団. 指揮者紹介. 2023年3月9日閲覧。
  6. ^ 小泉和裕”. 九州交響楽団. 九響について. 2016年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月9日閲覧。
  7. ^ 沿革”. 日本センチュリー交響楽団. 楽団紹介. 2023年3月9日閲覧。
  8. ^ 『第2期』シェレンベルガー&岡山フィルの体制を見据えて(その2)”. 天井桟敷のつぶやき. 2023年3月13日閲覧。
  9. ^ CONDUCTORS”. 神奈川フィルハーモニー交響楽団. 私たちについて. 2023年3月15日閲覧。
  10. ^ 音楽監督退任・就任について”. 名古屋フィルハーモニー交響楽団. ニュース&トピックス. 2023年4月1日閲覧。
  11. ^ 小泉和裕 都響デビュー40周年”. 東京都交響楽団. 音楽の深淵に迫る-和の精神を磨き、自然に学ぶ. 2021年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月17日閲覧。

参考文献

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  • ONTOMO MOOK『世界の指揮者名鑑866』音楽之友社、2010年。 
  • 『演奏家大事典 第Ⅰ巻』財団法人音楽鑑賞教育振興会、1982年。