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小田切光正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切光正
時代 江戸時代前期
生誕 寛文9年(1669年
死没 延享2年10月24日1745年11月17日[1]
別名 直之(初名)、作之丞、平右衛門[1]
戒名 空身[1]
墓所 牛込鳳林寺[1]
幕府 江戸幕府小十人
主君 徳川家綱徳川綱吉徳川家宣徳川家継徳川吉宗
氏族 小田切氏
父母 父:小田切有正[1]
村上徧高[1]
養子:光禄[1]
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小田切 光正(おだぎり みつまさ)は、江戸時代前期の武士徳川氏家臣

経歴・人物

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寛文9年7月10日1669年8月6日)1歳にして家督を継ぐ[1]元禄16年5月26日1703年7月9日小十人となり、享保9年11月15日1724年12月30日)二の丸に勤仕し、のち西城の勤めとなる[1]享保18年9月27日1733年11月3日)番を辞す[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 寛政重修諸家譜』巻第三百九十五