小田切光正
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文9年(1669年) |
死没 | 延享2年10月24日(1745年11月17日)[1] |
別名 | 直之(初名)、作之丞、平右衛門[1] |
戒名 | 空身[1] |
墓所 | 牛込鳳林寺[1] |
幕府 | 江戸幕府小十人 |
主君 | 徳川家綱→徳川綱吉→徳川家宣→徳川家継→徳川吉宗 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切有正[1] |
妻 | 村上徧高娘[1] |
子 | 養子:光禄[1] |
小田切 光正(おだぎり みつまさ)は、江戸時代前期の武士。徳川氏家臣。
経歴・人物
[編集]寛文9年7月10日(1669年8月6日)1歳にして家督を継ぐ[1]。元禄16年5月26日(1703年7月9日)小十人となり、享保9年11月15日(1724年12月30日)二の丸に勤仕し、のち西城の勤めとなる[1]。享保18年9月27日(1733年11月3日)番を辞す[1]。