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小田龍一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小田 龍一
Ryuichi ODA
基本情報
名前 小田 龍一
生年月日 (1976-12-12) 1976年12月12日(48歳)
身長 180 cm (5 ft 11 in)
体重 90 kg (198 lb)
国籍 日本
出身地 鹿児島県
経歴
プロ転向 2001年
成績
優勝回数 日本2
初優勝 2009年日本オープンゴルフ
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小田 龍一(おだ りゅういち、1976年12月12日 - )は、鹿児島県出身のプロゴルファーである。志布志実業高等学校(現尚志館高等学校)、専修大学卒業。misumi所属。

来歴

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12歳でゴルフを始め、1994年に第38回日本ジュニアゴルフ選手権競技高校男子の部で6位に入る。専修大学卒業後、地元鹿児島県の高牧カントリークラブに所属。2001年9月にプロゴルファーテストに合格した[1]

プロ初年度となった2002年には26位タイが最高であったが、2003年は自身最終戦となったカシオワールドオープンで14位タイとなるなど徐々に成績を上げ、2004年には東建ホームメイトカップでの4位タイ、ウッドワンオープン広島での2位など、4度のトップ10入りを果たし、2005年から日本ゴルフツアーのシード権を獲得。同年の最高位はKBCオーガスタでの2位タイ(首位の伊澤利光と5打差)だったが、2006年コカ・コーラ東海クラシックでの3位タイ、2007年ANAオープンでの4位、2008年にはシーズン初戦の東建ホームメイトカップでの5位が最高と徐々に最高位が下がり、本人曰く「もうすぐ優勝できると言われながら、ずっとくすぶっていた」状態が続いていた[2]

2009年に入り、5月の日本プロゴルフ選手権で3位と健闘する。第74回日本オープン選手権は、埼玉県入間市にある「武蔵カントリークラブ・豊岡コース」(パー72)で開かれた。小田は初日こそ2オーバー74の45位タイだったが、2日目2アンダー70で回り12位タイに浮上、3日目も1アンダー71で5位タイに浮上する。最終日は8バーディー・3ボギーの5アンダー67で、通算6アンダー282となり、同スコアで並んだ石川遼今野康晴とのプレーオフとなる。プレーオフ1ホール目では、3打目をピンそばに寄せた2人に対し自身はアプローチショットを3メートルほどオーバーするも、返しのパーパットをねじ込み、プレーオフ2ホール目に突入する。2ホール目で今野、石川がいずれも3打目を外す中、バーディーパットを慎重に決め、2ホールにわたるプレーオフを制し、自身初のツアー優勝をメジャー大会で果たすという快挙を成し遂げた。

2010年全英オープン出場を機に池田勇太の指導を受けるようになり、年齢が逆転した師弟関係を築く[3]

日本オープン優勝以降はしばらく優勝から遠ざかり、2013年シーズンでは賞金シード入りも果たせなかった。日本オープン優勝による5年シードの最終年となる2014年、11月のマイナビABCチャンピオンシップにおいて5年ぶり2度目の優勝を果たした[4]

優勝歴

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日本ツアー (2)

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勝数
メジャー (1)
ツアー (1)
No. 日時 大会 優勝スコア 打差 2位
1 2009年10月18日 日本オープンゴルフ選手権 -6 (74-70-71-67=282) プレーオフ 日本の旗 石川遼日本の旗 今野康晴
2 2014年11月2日 マイナビABCチャンピオンシップ -21 (68-67-66-62=263) 5打差 日本の旗 小田孔明日本の旗 谷原秀人

プレーオフ記録 (1-0)

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※太字はメジャー大会

No. 大会 対戦相手 内容
1 2009年 日本オープンゴルフ選手権 日本の旗 石川遼日本の旗 今野康晴 1ホール目、全員パー。2ホール目、小田バーディーに対し石川・今野はパー。小田の優勝。

その他優勝

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脚注

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  1. ^ 2001年資格認定プロテスト合格者プロフィール
  2. ^ 日本オープン選手権優勝後インタビュー
  3. ^ 小田龍一と池田勇太、対照的な師弟関係(ゴルフダイジェストオンライン、2011年9月5日)
  4. ^ 小田龍V「ワッゼうれしい」シード権も確定(日刊スポーツ、2014年11月2日)

外部リンク

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