小笠原貞温
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和3年10月11日(1766年11月13日) |
死没 | 文政5年2月15日(1822年4月6日) |
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 |
官位 | 従五位下近江守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番、西の丸若年寄、本丸若年寄 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 豊前小倉新田藩主 |
氏族 | 府中小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原貞顕、母:鍋姫(小笠原長庸の娘) |
兄弟 | 貞温、宮本貞則、貞幹、小笠原長為正室、高木忠任室、松下之矩正室ら |
妻 |
正室:仙石政辰の娘 継室:松平頼亮の娘 側室:美賀子 |
子 | 貞哲、啓吉 |
小笠原 貞温(おがさわら さだあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。豊前国小倉新田藩(千束藩)の第4代藩主。第3代藩主・小笠原貞顕の3男。
略歴
[編集]江戸にて誕生。天明2年(1782年)6月1日、10代将軍徳川家治に拝謁する。同年8月19日、父貞顕の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下近江守に叙任する。天明5年9月、日光祭礼奉行を命じられる。寛政2年(1790年)6月17日、大番頭に就任する。寛政12年8月17日、奏者番に就任する。文化2年(1805年)12月22日、西の丸若年寄に就任する。文化9年(1812年)4月4日、本丸若年寄となる。
文政5年(1822年)2月15日、57歳で死去し、跡を長男・貞哲が継いだ。