小簾紅園
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小簾紅園(おずこうえん)は、岐阜県瑞穂市にある公園、史跡である。
概要
[編集]1861年(文久元年)孝明天皇の妹である皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ折、呂久川(揖斐川)を御座船で渡った際に「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」の和歌を詠んだという[1]。このことを記念し、1929年(昭和4年)4月26日に開園した[1]。和宮が詠んだ和歌の歌碑(東伏見宮妃周子の筆)を中心に日本庭園として整備されている。楓を中心に多くの樹木が植えられ、紅葉の名所である。[要出典]
和宮の遺徳を偲び、毎年、4月の最終日曜日(平成28年度までは4月26日)に春の例祭(神式)、10月26日に秋の例祭(仏式)がそれぞれ行われる[1]。1976年(昭和51年)10月の大祭は皇女和宮百年祭として[1]、秩父宮妃勢津子を招いて行われた[1]。
1970年(昭和45年)巣南町(現・瑞穂市)の指定史跡となる。
呂久の渡し
[編集]- この地にはかつて呂久川(揖斐川)が流れ、1580年(天正8年)に織田信忠により呂久の渡しが開設される。この呂久の渡しは江戸時代には中山道の渡船になっている。
- 1861年(文久元年)、公武合体のために皇女和宮が徳川家茂の元に嫁ぐために、中山道で江戸に下ったさい、旧暦10月26日に呂久の渡しで呂久川を渡る。このさい、警護を行った大垣藩は御座船10隻を艤装し、和宮の旅情を慰めたという。御座船の玉簾の中から対岸(東)の馬淵家の庭の紅葉した楓を見た和宮は、その美しさに「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」の和歌を詠む。
- 1925年(大正14年)に呂久の渡しは、河川改修工事により川の流れが直線化され、揖斐川が東へ300mへ移動したため廃止となったが、この和宮の遺徳を偲び、この呂久の渡しの跡地を中心に、和宮が見た楓の庭を含めた地域を公園にする計画が持ち上がる。これが小簾紅園となる。
所在地
[編集]- 岐阜県瑞穂市呂久
- 瑞穂市内では呂久地区のみ、揖斐川の西岸に位置する。