小西酒造硬式野球部
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チーム名(通称) | 小西酒造 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1958年 |
廃部 | 2008年(2000年から休部) |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 10回 |
最近の出場 | 1999年 |
最高成績 | ベスト8 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 5回 |
最近の出場 | 1972年 |
最高成績 | ベスト4 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 2回 |
最近の出場 | 1999年 |
最高成績 | ベスト8 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
小西酒造硬式野球部(こにししゅぞうこうしきやきゅうぶ)は、兵庫県伊丹市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2000年から休部していたが、2008年に正式に解散した。
概要
[編集]兵庫県伊丹市に本社を置く清酒メーカーである小西酒造の軟式野球部が硬式野球部に転向し、1958年に創部した[1]。同年の都市対抗野球は神戸市の予選[2]に参加し、いきなり本大会に初出場を果たし、3年後の1961年には都市対抗野球でベスト8に進出している。
1973年には都市対抗野球で2回目のベスト8に進出したが、オイルショックの影響で翌年から4年間にわたり新人の採用が途絶えて戦力が低下した[3]。
1989年から積極的に野球部の強化を進め、1995年には阪神・淡路大震災で被害を受けながら22年ぶりに都市対抗野球への出場を果たしている[3]。
1998年には日本選手権にも初めて出場したが、長期の不況から1999年シーズン限りでの休部が決まった。同年は最後の都市対抗野球と日本選手権に出場し、後者では過去最高のベスト8に進出。同年10月には長年の活躍と地域貢献を理由に伊丹市から市民スポーツ賞を贈られた[4]。部員24人のうち6人が他チームに移籍し、9人が会社に残って社業に専念している[5]。
2008年6月24日付けで、正式に解散となり廃部した[6]。
沿革
[編集]- 1958年 - 『小西酒造硬式野球部』として創部。都市対抗野球に初出場(1回戦敗退)。
- 1963年 - 日本産業対抗野球大会に初出場。
- 1998年 - 日本選手権に初出場(1回戦敗退)。
- 1999年 - シーズン終了をもって休部。
- 2008年 - 廃部。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場10回、8強2回(1961、1973年)
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場2回、8強1回(1999年)
- JABA岡山大会 - 優勝1回(1969年)
出身プロ野球選手
[編集]- 三宅成幸(内野手) - 1969年ドラフト外で近鉄バファローズに入団
- 奥田修(捕手) - 1969年ドラフト外で阪神タイガースに入団
- 楠本秀雄(外野手) - 1970年ドラフト3位で阪神タイガースに入団
- 豊岡昭久(捕手) - 1980年ドラフト外で南海ホークスに入団
- 谷中真二(投手) - 1996年ドラフト3位で西武ライオンズに入団