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小野毛人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小野毛人
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天武天皇6年(677年
官位 小錦中
主君 天武天皇
氏族 小野氏
父母 父:小野妹子
兄弟 毛人
毛野
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小野毛人墓誌(左:表面、右:裏面)。崇道神社蔵、国宝。 小野毛人墓誌(左:表面、右:裏面)。崇道神社蔵、国宝。
小野毛人墓誌(左:表面、右:裏面)。崇道神社蔵、国宝。

小野 毛人(おの の えみし)は、飛鳥時代官人大徳小野妹子の子。冠位小錦中

概要

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江戸時代初期に山城国愛宕郡小野郷(現在の京都府京都市左京区上高野)にある崇道神社近くの山から毛人の墓誌が発見され、国宝に指定されている。墓誌銘によると、毛人は天武朝において太政官に勤め、刑部大卿を兼務しており、冠位は大錦上であったという。子息である小野毛野の没伝では、毛人の冠位は小錦中とされていることから[1]、没後に大錦上の贈位を受けたか[2]

墓誌に関する逸話

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伊藤東涯の随筆『盍簪録』から引用した松崎慊堂の日暦によると、この墓誌は慶長年間に墓泥棒によって暴かれた石郭から発見され、近くの村にある法幢寺に持ってこられた。ところがその後、村は落ちぶれて荒れ果てたため、墓の祟りを恐れ、元のところへ復したという[3]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c 『続日本紀』和銅7年4月15日条
  2. ^ 坂本,平野[1990: 172]
  3. ^ 松崎慊堂『慊堂日暦2』平凡社、1972年、238p頁。 

参考文献

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外部リンク

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