小野沢静夫
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小野沢静夫 おのざわ しずお | |
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生年月日 | 1921年10月10日 |
出生地 | 長野県下高井郡下木島村(現長野県飯山市) |
没年月日 | 1999年5月6日(77歳没) |
出身校 | 旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業 |
前職 | 飯山市農業委員会委員 |
称号 | 勲四等旭日小綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1978年9月15日 - 1990年9月14日 |
飯山市議会議長 | |
在任期間 | 1970年12月14日 - 1972年12月15日 |
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日[1][2] - 1999年(平成11年)5月6日[3])は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。
来歴
[編集]長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた[1]。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業[1]。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て[1]、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり[1][2][3]、同議長[4]を務めた[1][2][3]。
1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し[2][3]、1890年(平成2年)9月まで3期務めた[3]。在任中は整備新幹線である北陸新幹線の新駅計画誘致や、和紙や仏壇などの伝統産業会館の建設などに尽力[2]。また、飯山市農業協同組合専務理事、同副組合長も務めた[2]。
栄典
[編集]- 1992年(平成3年)勲四等旭日小綬章受章[3]
著作
[編集]- 『追憶の市長室:いま、任終えて』銀河書房、1991年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 宝月圭吾編『長野県風土記』旺文社、1986年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。