小野興二郎
表示
小野 興二郎 (おの こうじろう、1935年6月22日[1] - 2007年10月28日)は、昭和期から平成期の歌人。歌誌「泰山木」主宰。
経歴
[編集]愛媛県上浮穴郡面河村(現・久万高原町)の、豊かではない神官の家に生まれる。松山市の「潮音」系短歌結社「にぎたづ」に参加[2]。その後上京し、明治大学文学部に入学するが、結核にかかり帰郷して肺葉切除を受ける。1957年、北原白秋の流れを汲む、木俣修の歌誌「形成」に参加する。大学卒業後、市川学園(千葉県)の国語科教諭となる。1981年に肝生検のショックで入院し、視力障害を患う。以後、入退院を繰り返しながら、歌作を続ける。その作品は、人間存在の根源について鋭く問いかけるものであり、その美しい文語体の歌は多く人々の共感を得た。
2007年10月28日、肝臓がんのため千葉市の自宅で死去[3]、72歳。
作曲家の源田俊一郎は甥であり、小野の詩に曲をつけている[4]。
著書・編著
[編集]歌集
[編集]- 『てのひらの闇』 角川書店〈新鋭歌人叢書〉、1976年
- 『天の辛夷』 角川書店、1979年
- 『紺の歳月』 不識書院、1989年
- 『歳月空間』 不識書院、1989年
- 『森林木語』 不識書院、1994年
- 『今ひとたびの』 不識書院、2000年
アンソロジー
[編集]編集
[編集]- 『木俣修歌集』 不識書院〈不識文庫〉、1990年
代表歌
[編集]- 学びたしと思ふ日暮をさむざむと炭焼く母がよごれ帰り来ぬ 『てのひらの闇』
- 東京に学ぶわれのため伐られたるかの山が見ゆ畑打ちをれば 『てのひらの闇』
- てのひらに握りしめたる闇いまも出立の日の戦慄(をののき)去らず 『てのひらの闇』
- 父よ男は雪より凛(さむ)く待つべしと教へてくれてゐてありがたう 『天の辛夷』
- 生徒らの励ましくるる声きけば癒えて働く日はあるならむ 『歳月空間』
- 木には木の言葉のありてこの夜も星美しと言ひあひてゐむ 『森林木語』
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.158
- ^ 愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)
- ^ “小野興二郎氏死去”. 47NEWS(よんななニュース). 2015年2月11日閲覧。
- ^ 源田俊一郎:女声合唱のための昭和ノスタルジー「花びらあそび」