尚清王
表示
(尚清から転送)
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2014年3月) |
尚清王 | |
---|---|
琉球国王 | |
在位 | 1527年-1555年 |
全名 | 尚清 |
神号 | 天続之按司添 |
出生 |
1497年 琉球国、首里 |
死去 |
1555年7月13日 琉球国、首里 |
埋葬 |
1555年 琉球国、首里玉陵 |
王世子 | 尚元 |
配偶者 | 別記 |
子女 | 別記 |
家名 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚真王 |
母親 | 華后 |
尚清王(しょうせいおう、1497年(弘治10年) - 1555年7月13日(嘉靖34年6月25日))は、琉球王国第二尚氏王統の第4代国王(在位1527年 - 1555年)。第3代国王尚真王の第5王子。童名は真仁堯樽金。神号は天続之按司添(てにつぎのあんじおそい)。
1526年(嘉靖5年)12月11日に父が死去した後の翌年に即位する。1534年、明王朝に冊封を受ける。1537年には反乱のかどで奄美大島の与湾大親を討つが、これは大島の他の大親による讒訴と判り、子孫の馬氏小禄殿内は琉球で長用された。同時に倭寇に対する圧力、防備も強化するなどの軍事面での顕著な事績があった。
1555年(嘉靖34年)6月25日、59歳で死去。死後、王子たちの間で王位継承争いが起こり、翌年に尚清が生前に後継者として定めていた第2王子の尚元王が継いだ。
家族
[編集]- 父 - 尚真王
- 母 - 華后
- 妃 - 思真銭金按司加那志:号・月江。1552年(嘉靖30年)6月13日薨。毛氏平安名家一世・兼城親方栄重の姉。
- 夫人
- 城之大按司志良礼:童名・真鶴金、号・瑞室。生没年不詳。父は謝名村新城仁屋、子孫は陳氏石川家。
- 大按司志良礼:童名・真美那古金、号・后徳。生没年不詳。父は楽氏一世屋宜親雲上昌寔。
- 大按司志良礼:童名・真世仁金、号・礼室。生没年不詳。父は王農大親。
- 妻 - 与那原阿護母志良礼:号・誠淑、堅嘉の妹、那氏一世新垣親雲上善将の叔母。
- 子女
- 長男 - 尚禎、中城王子:母は后徳。生没年不詳。妻は毛氏上里殿内三世・沢岻親方盛里の娘、君豊見按司加那志。後裔なし。
- 次男 - 尚元、久米中城王子:母は妃。後即位する。
- 三男 - 尚楊叢、勝連王子朝宗:号・金渓。生没年不詳。向氏新里殿内一世。
- 四男 - 尚鑑心、大伊江王子:生没年不詳。後裔なし。位牌は天界寺。
- 五男 - 尚桓、北谷王子朝里:号・春楊。生没年不詳。向氏与那覇殿内一世。
- 六男 - 尚范国、東風平王子朝典:号・泰甫。1548年(嘉靖27年)11月11日卒。玉城御殿一世。
- 七男 - 尚宗賢、伊江王子朝義:母は瑞室。号・昨夢。1538年(嘉靖17年) - 1586年(万暦14年)5月19日。伊江御殿一世、
- 八男 - 尚洪徳、読谷山王子朝苗:母は礼室。玉川御殿一世。
- 九男 - 尚龔礼、豊見城王子朝喬:号・徳崇。生没年不詳。向氏伊良波殿内一世。
- 十男 - 尚悦、羽地王子朝武:母は誠淑。号・梅仙。1587年(万暦15年)7月18日卒。向氏喜屋武殿内一世。
- 長女 - 阿応利屋恵按司加那志:号・徳大。生没年不詳。後裔なし。位牌は天界寺。
- 次女 - 首里大君按司加那志:号・桂月。生没年不詳。後裔なし。葬地は玉陵。
参考文献
[編集]- 比嘉朝進『士族門中家譜』 球陽出版 2005年 ISBN 4990245709
|
|
|