コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

尾上作兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次[1][2]1872年10月1日明治5年8月29日[3] - 没年不明)は、日本政治家実業家姫路市会議員[4]。国栄機械製作所創業者[5]。族籍は兵庫県平民[2][3]

グローリー実質創業者尾上壽作の父[5]。グローリー会長尾上壽男の祖父。

経歴

[編集]

兵庫県飾麿郡安室村字新在家(現・姫路市)出身[6]。兵庫県平民・池内宗太郎の二男[3]。姫路の商家[5]、尾上作平の養子となり、1901年家督を相続した[1][7]

1918年3月、姫路市延末にて、作兵衛は個人経営で電球製造機の修理・販売を開始した[8]。また、山陽醤油社長[1][注 1]、日本化学漆器代表取締役[7]、三十八銀行、姫路水力電気、姫路銀行、姫路莫大小、姫路倉庫各取締役[3][7]など各種の会社重役を務めた。

人物

[編集]

独学自習により和漢の学や泰西の状勢に通じた[4]。資性温厚篤実で徳義を重んじた[4]

時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』(1916年)によれば、尾上作兵衛の財産見積額は50万円、財産種別は現金有価証券28万円、家屋土地8万円、耕地山林14万円である。

住所は兵庫県姫路市俵町[3]

家族・親族

[編集]
尾上家
親戚

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 山陽醤油株式会社(1907年設立)の主な業務は、醤油製造業[9]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』オ61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』を40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第4版』を27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月25日閲覧。
  4. ^ a b c 『大正人名辞典』1851頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月25日閲覧。
  5. ^ a b c d 『保証時報』兵庫県信用保証協会、2013・9、9-11頁。
  6. ^ 時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家(時事新報、1916年)。
  7. ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 上』オ62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月25日閲覧。
  8. ^ 第57期有価証券報告 - グローリー。
  9. ^ 『兵庫県会社一覧 昭和15年12月末日現在』102頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月25日閲覧。
  10. ^ 『日本全国商工人名録 明治25年版』兵庫県450頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月9日閲覧。
  11. ^ 『帝国名望家大全』136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月15日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』オ58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月29日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 『日本全国商工人名録 明治25年版』日本全国商工人名録発行所、1892年。
  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 兵庫県総務部調査課編『兵庫県会社一覧 昭和15年12月末日現在』兵庫県総務部調査課、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。