山勝百貨店
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 岐阜県岐阜市神田町9-12[1][2] |
設立 | 1950年(昭和25年)7月8日[2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店[2] |
資本金 | 6000万円[2] |
売上高 |
12億4800万円 (1966年(昭和41年)2月期)[2] |
営業利益 |
2億900万円 (1966年(昭和41年)2月期)[2] |
従業員数 |
317 (1966年(昭和41年)2月)[2] |
決算期 | 2月期[2] |
関係する人物 | 山田勝之助(初代社長) [2] |
店舗概要 | |
---|---|
所在地 | 岐阜県岐阜市神田町9-12[1][2] |
開業日 | 1947年(昭和22年)9月[3] |
閉業日 | 1976年(昭和51年)7月[5] |
延床面積 | 15,654 m²[6] |
商業施設面積 |
3,678m2[4] ↓ 9,686 m²[7] |
前身 | 合資会社山勝洋服店[2] |
後身 | 岐阜パルコ[6][8] |
最寄駅 | 岐阜駅・名鉄岐阜駅 |
山勝百貨店(やまかつひゃっかてん)は、かつて岐阜県に存在した日本の百貨店。
概要
[編集]1915年(大正6年)3月1日に[1]岐阜市本町1丁目で山田勝之助が「合資会社山勝洋服店」を設立し[2]、紳士服の仕立販売を行ったのが始まりである[2]。 しかし、第二次世界大戦中の企業整備に伴い、1942年(昭和17年)12月に「合資会社山勝洋服店」を解散した[1]。
1947年(昭和22年)9月に岐阜市神田町9丁目に「山勝商工株式会社」を設立し、雑貨販売を主力として事業を再開[2]。 1950年(昭和25年)7月8日には資本金50万円で「山田産業株式会社」を設立して、衣料品の販売を主力とした[2]。 その後の事業拡大を進め、1955年(昭和30年)2月に「山勝百貨店株式会社」と商号を変更した[2][1]。
2階建て・延床面積約520坪の店舗を[9]1959年(昭和34年)4月に取り壊し[2]、建て替えて1960年(昭和35年)5月に鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階・地上4階(塔屋2階)の新店舗を完成させた[2]。 この新店舗は、エレベーターやエスカレーターを設置した冷暖房完備の建物で[9]、全国初の屋上駐車場を併設していた[2]。 この新店舗の開設時点では、1階と2階のみを直営の売り場で、他のフロアは貸店舗として別会社((株)ストアセンターと(株)スーパーセンター)として、百貨店業法の許可を得ていない形の営業形態であった。
1961年(昭和36年)5月に「株式会社山勝」と商号を変更した[2][1]。
1963年(昭和38年)6月28日に正式に百貨店としての許可され、丸物百貨店岐阜店に次ぐ2番目の百貨店となった[4]。
1973年(昭和48年)3月に西武百貨店と資本提携し[10]、 南側に隣接している喜久屋本社ビルの3階から7階までを賃借して増床し[11]、同年12月26日に新装開店した[7][11]。
1976年(昭和51年)3月19日に近隣にダイエー岐阜店が開業した影響を受け、同年7月に百貨店を廃業[5]。
店舗跡には、同年9月23日に「岐阜パルコ」として新装開店し[12]、同店はパルコの地方進出第1号店となった[8]。 しかし、その岐阜パルコも2006年(平成18年)8月20日に閉店することになった[13]。
年表
[編集]- 1915年(大正6年)3月1日[1] - 岐阜市本町1丁目で山田勝之助が「合資会社山勝洋服店」(紳士服の仕立販売)を設立し、創業[2]。
- 1942年(昭和17年)12月 - 第二次世界大戦中の企業整備に伴い、「合資会社山勝洋服店」を解散[1]。
- 1947年(昭和22年)9月 - 岐阜市神田町9丁目に「山勝商工株式会社」を設立し、雑貨販売を主力として事業を再開[2]。
- 1949年(昭和24年)1月 - 「山勝殖産株式会社」を設立[1]。
- 1950年(昭和25年)7月8日 - 資本金50万円で「山田産業株式会社」を設立[2]。
- 1955年(昭和30年)
- 1959年(昭和34年)4月 - 旧店舗を解体開始[2]。
- 1960年(昭和35年)5月 - 鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階・地上4階(塔屋2階)の新店舗完成[2]。
- 1961年(昭和36年)5月 - 「株式会社山勝」と商号変更[2][1]。
- 1963年(昭和38年)6月28日 - 正式に百貨店として許可[4]。
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年)
- 2006年(平成18年)8月20日 - 「岐阜パルコ」閉店[13]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『繊維小売年鑑 1965年版』 繊維小売年鑑刊行会、1964年。pp716
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『事業と人 1966年版』 中部経済新聞社、1966年。pp557
- ^ 『岐阜市史 通史編 現代』 岐阜市、1981年11月。pp434
- ^ a b c 『中部要覧 愛知・岐阜・三重県 1964年版』 中部経済新聞社、1964年6月10日。pp188
- ^ a b c “百貨店”. 経済月報 1976年12月号 (十六総合研究所) (1976年12月).pp40
- ^ a b 『岐阜市史 史料編 現代』 岐阜市、1980年3月。pp509
- ^ a b 『岐阜市史 通史編 現代』 岐阜市、1981年11月。pp435
- ^ a b “第9回国内研修(中京圏)報告 立地の創造と大型店の影響を現地にみる”. ショッピングセンター 1978年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年1月1日).pp48
- ^ a b 『全国百貨店専門店会商店会取引業者総覧 昭和32年版』 デパート新聞社、1957年3月15日。pp249-250
- ^ a b “スーパー業界の現状と見通し”. 證券月報 1977年9月号 (山一証券経済研究所) (1977年9月).pp63
- ^ a b c “百貨店”. 経済月報 1974年1・2月号 (十六総合研究所) (1974年1月).pp42
- ^ a b 『岐阜市史 通史編 現代』 岐阜市、1981年11月。pp年表30
- ^ a b “岐阜パルコ営業終了日決定 及び 閉店セール開催 のお知らせ | パルコ”. 2024年2月5日閲覧。