山口進 (写真家)
山口進 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県 |
生年月日 | 1948年2月23日 |
没年月日 | 2022年12月23日(74歳没) |
最終学歴 | 大分大学経済学部 |
活動時期 | 1976年 - 2022年 |
受賞歴 | |
日本蝶類学会江崎賞(2001年) 日本児童文学者協会賞(2021年) |
山口 進(やまぐち すすむ、1948年(昭和23年)2月23日[1] - 2022年(令和4年)12月23日[2])は、日本の昆虫植物写真家、自然ジャーナリスト。自然科学写真家協会会員、日本鱗翅学会会員[3]。
来歴
[編集]1948年、三重県に生まれる[1][2]。小学校3年時から長崎県長崎市に移り、長崎市立西町小学校、長崎市立緑が丘中学校を経て長崎県立長崎西高等学校卒業まで長崎で過ごした[1]。 海洋研究者だった父親の影響を受けて、子どもの頃は昆虫図鑑や冒険小説などの本を読むことや自然が大好きだったという[1][4]。高校2年の時に長崎の古書店で眺めた高山蝶の写真集に感銘を受け、自身の目で国外の虫や花を見たくなり、翌年には台湾へ60日間の一人旅に出かけた[1]。
大分大学経済学部では数学を専攻し[5]、在学中は貨物船でボルネオ島を訪れている[1]。大分大を卒業後は電機メーカー富士通でシステムエンジニアをしていた[5][6][7]。昆虫植物写真家・自然ジャーナリストとしての活動は1976年から開始することとなる[5]。百貨店の昆虫写真展で栗林慧の写真に感銘を受け、昆虫植物写真家になることを決意する[1]。発起してから約1年後の28歳の時にカメラの知識も持たずに退社、本を読み独学で写真術を学んだ[1][7]。叔父の伝手により貨客船によるニューギニア島への渡航が実現、退職金で買った高級中判カメラと写真の入門書を携え、同地へ赴いて初撮影に挑んだ[5][7]。当時はマクロレンズに良いものが余り流通しておらず、山口は本を頼りにカメラを自ら改造して撮影に臨んでいる[5]。その帰国後に『アサヒグラフ』に持ち込んだ写真は特集を組まれるなど反響を呼び、また、その後は同誌に連載を持つなど評価された[5][7]。
1978年にジャポニカ学習帳(ショウワノート)で「世界特写シリーズ」を開始する[5]。ノートは国語や算数の各教科のほか自由帳や日記も含めて全70冊あり、それぞれに裏表紙も会わせて各3点ずつの写真が載るため、計210枚分を撮影するために世界中の高山やジャングルを訪ねたという[8]。以来[9]、40年以上にわたって表紙写真の全てを撮影してきた[7][10]。この学習帳のために世界各地で撮り下ろし表紙を飾った写真は、2014年時点で計1200枚以上にわたる[11]。写真には「自然を大切にしよう」というメッセージも込められているという[11]。山口は「花と昆虫の共生」を主要なテーマとして撮影を続けた[5]。また、「自然に生きる」を座右の銘とした[1]。
1988年には13年間かけて作成した写真集『五麗蝶譜』が完成する[5]。同著は構成やレイアウト、文章などのほとんどを山口が手掛けた[5]。山口は同著の執筆により日本蝶類学会江崎賞を2001年に受賞している[5]。この本は専門家や昆虫ファン等に評価され、写真撮影だけでなく、以降は本の執筆や自然をテーマとしたテレビ番組への撮影や企画・監修も依頼されるようになっていったという[5]。テレビ番組ではNHKの自然番組『ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜』『ワイルドライフ』などで企画撮影にも携わっている[5][12]。
2021年に『万葉と令和をつなぐアキアカネ』で第61回日本児童文学者協会賞を受賞した[13]。
2022年12月23日午前、肝性脳症のため山梨県北杜市内の病院で死去[2]。74歳没。
著書
[編集]- 五麗蝶譜 : シジミチョウとアリの共棲、1988年、講談社
- 米が育てたオオクワガタ(イワサキ・ノンフィクション)、2006年、岩崎書店
- 実物大巨大昆虫探検図鑑(ちしきのぽけっと7)、2008年、岩崎書店
- 地球200周!ふしぎ植物探検記(PHPサイエンス・ワールド新書)、2011年、PHP研究所
- 世界クワガタムシ探険記 ダーウィン・ビートルを求めて(ちしきのぽけっと 16)、2013年、岩崎書店
- カブトムシ 山に帰る、2013年、汐文社
- わくわく昆虫記 憧れの虫たち、2016年、講談社
- 珍奇な昆虫、2017年、光文社[14]
- 万葉と令和をつなぐアキアカネ、2020年、岩崎書店[15]
親族
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j "メクル第467号 ジャポニカ学習帳 表紙を撮影40年 山口進さん". 長崎新聞. 2020年6月21日. 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月30日閲覧。
- ^ a b c "自然写真家・山口進氏死去、74歳 「ジャポニカ学習帳」表紙の昆虫写真など". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 2022年12月28日. 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
- ^ 山口進. "プロフィール". 昆虫写真家 山口進 花と虫の地球. 2022年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
- ^ 福永茉那実 (2016年2月16日). "学習ノートの表紙写真を38年にわたり1200枚以上撮り続けているスゴい人!". 日刊スゴい人!. 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 山口進 (2016年10月11日). "山口 進さん(昆虫植物写真家)の「仕事とは?」|前編". 就職ジャーナル (Interview). Interviewed by 泉彩子. リクルート. 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
山口進 (2016年10月12日). "山口 進さん(昆虫植物写真家)の「仕事とは?」|後編". 就職ジャーナル (Interview). Interviewed by 泉彩子. リクルート. 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。 - ^ 読売新聞 2015年7月28日 朝刊2面「顔」
- ^ a b c d e "「ジャポニカ学習帳」昆虫の表紙を撮って40年…亡くなった山口進さんが語っていた "波乱すぎ" 撮影探検記". Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]. 光文社. 2022年12月29日. 2022年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月30日閲覧。
- ^ 伊藤隆太郎 (2018年10月28日). “ありのままの姿伝えたい 自然写真家山口進さん”. 朝日新聞
- ^ “ジャポニカ学習帳から昆虫が消えた 教師ら「不快」→苦渋の決断”. withnews(ウィズニュース) (2014年11月27日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ “学校のロングセラー「ジャポニカ学習帳」 - ロングセラーのヒミツ大解剖!「学校編」 - 2010年9月12日(過去の放送内容):がっちりマンデー!”. TBSテレビ. TBS. 2022年12月28日閲覧。
- ^ a b "【ノートセット当たる!】懐かしジャポニカ学習帳(男の浪漫伝説 Vol.97)". ドリームメール. 2013年4月15日. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月29日閲覧。
- ^ “昆虫植物写真家 山口進さん死去 74歳”. NHK 首都圏のニュース. 日本放送協会 (2022年12月28日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ “2021年度児童文学者協会賞、3賞発表”. 国立国会図書館国際子ども図書館. 国立国会図書館 (2021年7月7日). 2022年12月28日閲覧。
- ^ “珍奇な昆虫 山口進”. 光文社. 光文社. 2022年12月28日閲覧。
- ^ “万葉と令和をつなぐアキアカネ”. 岩崎書店. 岩崎書店. 2022年12月28日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 昆虫写真家 山口進 花と虫の地球:プロフィール - 公式サイト
- SUSUMU YAMAGUCHI (@susumuy2010) - X(旧Twitter)
- 山口進の気まぐれ撮影日誌 - ショウワノート