コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山尾孝雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山尾 孝雄
基本情報
出身地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
生年月日 (1941-02-13) 1941年2月13日
没年月日 (2018-12-09) 2018年12月9日(77歳没)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手投手
プロ入り 1963年
初出場 1963年
最終出場 1972年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山尾 孝雄(やまお たかお、1941年2月13日 - 2018年12月9日[4][注 2])は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手外野手。右投右打)[注 3]。引退後は、実業家野球解説者

来歴・人物

[編集]

プロ入り前

[編集]

明星高等学校では投手、卒業後は同志社大学に進学する。関西六大学野球リーグでは、エースとして1960年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会は、決勝で法大山崎正之新山彰忠と投げ合い、延長14回の末に敗れ準優勝に終わる。1961年に肩を故障するが、翌年には復活した。リーグ戦通算55試合登板、24勝10敗、防御率1.19、182奪三振。

プロ入り後

[編集]

1963年阪神タイガースへ入団しプロ入り。右の本格派と期待され、7月7日には広島を相手に初先発、5回を1失点と好投する。同年の第1回ジュニアオールスターゲームに投手として選出された。その後も2試合に先発するが、早々に打込まれ降板。

1964年から外野手に転向[1]し、3試合に先発出場。この年のジュニアオールスターには野手として出場した。1966年にはプロ初本塁打を放つ。1969年には強肩俊足を買われ一軍に定着、47試合に先発した。翌1970年には、6月後半から故障の藤井栄治に代り一番打者、中堅手の定位置を確保する。翌1971年もレギュラーとして起用され74試合に先発、うち7試合は四番打者にも抜擢された。しかし打撃面では今一つ伸び悩み、翌1972年望月充の入団もあって出場機会が急減。同年限りで現役引退。

現役引退後

[編集]

大阪食品化学株式会社に就職し、後に社長にも就いた。また、その合間を縫って1980年代には読売テレビ(YTV)の野球解説者を務めていた。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1963 阪神 11 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
1964 19 23 20 2 3 0 0 0 3 0 0 1 0 0 2 0 1 7 1 .150 .261 .150 .411
1965 16 24 22 4 4 0 0 0 4 3 1 1 1 0 1 0 0 10 0 .182 .217 .182 .399
1966 43 52 49 3 3 0 0 1 6 1 1 0 0 0 3 1 0 18 0 .061 .115 .122 .238
1967 52 45 42 5 6 1 0 0 7 1 1 0 1 0 2 0 0 11 2 .143 .182 .167 .348
1968 25 23 20 2 7 2 0 0 9 2 1 0 0 0 3 0 0 5 0 .350 .435 .450 .885
1969 71 176 155 12 34 3 0 4 49 9 0 3 2 0 18 1 1 38 8 .219 .305 .316 .621
1970 94 235 205 18 53 6 1 4 73 11 1 5 6 0 23 0 1 36 2 .259 .336 .356 .692
1971 98 273 251 16 61 7 0 3 77 21 1 3 4 2 16 0 0 37 5 .243 .288 .307 .595
1972 19 25 22 2 5 0 0 0 5 1 1 0 0 0 3 0 0 7 0 .227 .320 .227 .547
通算:10年 448 882 792 64 176 19 1 12 233 49 7 13 14 2 71 2 3 174 18 .222 .289 .294 .583

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1963 阪神 5 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 49 10.0 14 2 3 0 1 3 2 0 9 7 6.30 1.70
通算:1年 5 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 49 10.0 14 2 3 0 1 3 2 0 9 7 6.30 1.70

背番号

[編集]
  • 14 (1963年 - 1965年)
  • 21 (1966年 - 1972年)

関連情報

[編集]

出演番組

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 参考:1963年から1972年まで阪神に在籍の旨が明記[1][2][3]
  2. ^ 参考:
  3. ^ 参考:
    • 出身地
      • 「大阪」と明記[1][2]
    • 守備位置
      • 外野手と明記[1][2]
      • 投手と明記[1]
    • 利き腕
  4. ^ 1987年まで読売テレビ・日本テレビ・広島テレビ解説者(阪神監督就任に伴い退任)
  5. ^ 1987年から読売テレビ解説者。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『日本プロ野球歴代全選手写真名鑑』(『B.B.MOOK』1144。2015年4月15日発売、ベースボール・マガジン社発行。コード:ISBN 978-4583622217)P209「山尾孝雄」
  2. ^ a b c d e 週刊ベースボールONLINEのプロフィールを参照。
  3. ^ 検索結果:山尾孝雄 | プロ野球在籍者名簿 | NPB.jp 日本野球機構
  4. ^ 山尾孝雄”. まいり. 2023年5月10日閲覧。
  5. ^ a b c 日本野球機構公式サイト内プロフィールを参照。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]