山岡大二
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山岡 大二 | |
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生誕 |
1913年11月6日 日本 東京府 |
死没 | 1991年11月1日(77歳没) |
所属組織 |
大日本帝国海軍 警備隊 海上自衛隊 |
軍歴 |
1936 - 1945(日本海軍) 1953 - 1954(警備隊) 1954 - 1968(海自) |
最終階級 |
海軍少佐(日本海軍) 海将補(海自) |
指揮 | 101特別陸戦隊司令(日本海軍) |
戦闘 | 太平洋戦争 |
山岡 大二(やまおか だいじ、1913年(大正2年)11月6日 - 1991年(平成3年)11月1日)は、東京都出身の日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は、海軍少佐、海将補。
経歴
[編集]内務官僚・山岡国利の二男として東京で生れる。鹿児島一中を経て、1936年(昭和11年)3月、海軍兵学校(第63期)を卒業、遠洋航海終了後、戦艦「霧島」乗組となる。翌年4月、海軍少尉に任官し 1937年(昭和12年)8月、新造の駆逐艦「涼風」乗組となり、以後、「伊号第五十七潜水艦」、「呂号第三十四潜水艦」乗組み、1938年(昭和13年)8月、呉鎮守府第四特別陸戦隊付となる。同年12月、重巡洋艦「三隈」乗組となり、重巡洋艦「筑摩」、水雷艇「鳩」乗組を経て、1940年(昭和15年)10月、駆逐艦「霞」砲術長となり太平洋戦争を迎えた。
1942年(昭和17年)4月、重巡洋艦「最上」分隊長となり、「高雄」分隊長を経て、1943年(昭和18年)11月から海軍砲術学校高等科で学び、1944年(昭和19年)3月、呉鎮守府第101特別陸戦隊(通称:山岡部隊)司令となり、同年5月、海軍少佐に進級。部隊は特殊任務を帯び館山海軍砲術学校で訓練を続けたが、出撃することなく三沢基地で終戦を迎えた。1945年(昭和20年)9月、横須賀鎮守府付を経て、同年11月、予備役に編入された。
戦後は保安庁警備隊を経て海上自衛隊に入隊。佐世保地方副総監(海将補)を最後に退官した。
年譜
[編集]- 1936年(昭和11年)3月19日:海軍兵学校卒業(第63期)、海軍少尉候補生。遠洋航海終了後、戦艦「霧島」乗組
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1942年(昭和17年)4月20日:重巡洋艦「最上」分隊長[14]
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)11月1日:予備役に編入[22]
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)8月1日:2等海佐に昇任
- 1955年(昭和30年)8月:第1舟艇隊司令
- 1956年(昭和31年)12月:第10警戒隊司令
- 1957年(昭和32年)2月:第4警戒隊司令兼任
- 1958年(昭和33年)12月:海上自衛隊第1術科学校総務部長
- 1959年(昭和34年)2月1日:1等海佐に昇任
- 1960年(昭和35年)12月16日:第6護衛隊司令
- 1961年(昭和36年)12月16日:第5護衛隊司令
- 1963年(昭和38年)4月1日:大湊地方総監部防衛部長
- 1965年(昭和40年)3月16日:横須賀教育隊司令
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)7月1日:海上幕僚監部付
- 1968年(昭和43年)1月1日:退官
- 1991年(平成 3年)11月1日:逝去(享年77)、叙・従四位[24]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 「昭和12年7月28日 海軍辞令公報 号外第11号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100
- ^ 「昭和12年8月31日 海軍辞令公報 号外第41号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072200
- ^ 「昭和13年3月29日 海軍辞令公報(部内限)号外第157号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073600
- ^ 「昭和13年7月5日 海軍辞令公報(部内限)号外第206号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100
- ^ 「昭和13年8月1日 海軍辞令公報(部内限)号外第219号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200
- ^ 「昭和13年8月5日 海軍辞令公報(部内限)号外第221号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200
- ^ 「昭和13年11月15日 海軍辞令公報 号外 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500
- ^ 「昭和13年12月1日 海軍辞令公報(部内限) 号外 第267号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700
- ^ 「昭和14年5月10日 海軍辞令公報(部内限) 第333号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075700
- ^ 「昭和14年5月20日 海軍辞令公報(部内限) 第338号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075700
- ^ 「昭和14年11月1日 海軍辞令公報(部内限) 第397号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076600
- ^ 「昭和15年10月15日 海軍辞令公報(部内限)第543号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100
- ^ 「昭和15年11月15日 海軍辞令公報(部内限)第554号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079400
- ^ 「昭和17年4月10日 海軍辞令公報(部内限)第845号(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085200
- ^ 「昭和17年9月10日 海軍辞令公報(部内限)第939号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086800
- ^ 「昭和17年10月7日 海軍辞令公報(部内限)第959号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087200
- ^ 「昭和18年10月22日 海軍辞令公報(部内限)第1244号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093900
- ^ 「昭和18年11月10日 海軍辞令公報(部内限)第1257号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094300
- ^ 「昭和19年3月1日 海軍辞令公報(部内限)第1351号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300
- ^ 「昭和19年3月20日 海軍辞令公報(部内限)第1381号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096800
- ^ 「昭和19年5月1日 海軍辞令公報(部内限)第1447号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097800
- ^ 「昭和20年11月17日 海軍辞令公報 甲 第1985号 (防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13072143500
- ^ 『官報』 本紙第8078号(昭和28年12月7日)
- ^ 『官報』本紙第790号(平成3年11月30日)