山本陽一 (レーサー)
山本 陽一 (やまもと よういち、1959年1月23日[1] - ) は、熊本県出身の元オートバイ・ロードレーサー。1985年・1986年の全日本ロードレース選手権TT F-3クラスチャンピオン[2]。国際A級通算19勝 (TT F-3・16勝 / 125cc・3勝)。
経歴
[編集]ホンダ社内チーム「鈴鹿レーシング[3]」で全日本ロードレース125ccクラスのトップランカーとして活躍後、1984年5月の全日本ロードレース選手権第6戦SUGO大会より、市販車ベースの車両で争われるTTフォーミュラ3(以下TT F3)クラスへの参戦を開始。二戦目の鈴鹿でCBR400を優勝に導き、続く第8戦筑波では予選ポールポジション獲得と400ccマシンへの適性を証明する。
1985年よりホンダがVF400をベースとしたワークスマシンRVF400を投入するなど力を入れ始めたTT F3クラスのライダーに正式起用され、徳野政樹とともにホンダレーシング・HRC契約ライダーとしてRVFで参戦。ライバルであるヤマハもXJ400をベースとしたFZR400で参戦し、市販車2輪市場を意識したHY戦争がF3クラスでも展開された。山本はヤマハ勢や、スズキ・GSX-Rをチューンして参戦するヨシムラ勢を破り10戦中7勝をあげる圧勝でF3クラスチャンピオンを獲得[4]。チャンピオンナンバー1を付けて臨んだ翌1986年はホンダがベースマシンをVFからVFRへと進化させ、ヤマハもベース車をXJからFZ400Rにした完全新型車YZFを投入するなど競争が加熱する。山本は8戦中6勝、3位2回と全戦で表彰台に立つ圧勝でF3クラス2連覇を達成。その強さからF3クラスの「絶対王者」、「無敵」と呼ばれたほか、ライバルであるヨシムラチームが「山本陽一とホンダRVFは手がつけられないほど強かった」とコメントを残している[5]。山本自身も、「86年シーズンは100点。だけど来年はもっと速く走って3連覇したい。」と述べ、充実のレースキャリアを築いた[6]。ホンダより発売された市販車VFR400Rでは、雑誌広告や告知ポスターのイメージキャラクターとなり、「山本陽一カラー」のスペシャルエディションも設定された[7]。
1987年もゼッケン1を付けたRVF400で開幕戦ポール・トゥ・ウィン、第2戦鈴鹿も連勝。これで前年から8連勝と好調なシーズン滑り出しだったが、雨となった全日本第5戦SUGOでヨシムラ・スズキ勢に敗退。そして第6戦鈴鹿予選での転倒後、急速に調子を崩す[8]。この転倒での身体ダメージが大きかったとも報じられ[9]、決勝レースでは序盤トップ争いに加わるも、中盤からはペースが下がりヤマハやヨシムラスズキから20秒引き離された5位でチェッカー。この2年あまり発揮されてきた山本の強さは以後見られなくなり、最終戦まで表彰台に立つことなくシーズンを終える。第6戦まで首位だったポイントランキングは4位に下降した。
1988年もHRCよりTT F3クラスに参戦しながら、F3クラスの開催が無いラウンドではNSR250で250ccクラスに参戦。3月25-27日に鈴鹿で行われた世界グランプリ250ccにもワイルドカード参戦し、予選8番グリッドから決勝14位で完走。WGPでの選手権ポイントを獲得した[10]。4月10日の全日本第3戦筑波・250ccでは、田口益充、小林大に次ぐ3位でホンダ1-2-3フィニッシュの一翼を担い、約1年ぶりの表彰台を獲得。F3クラスでも5月15日の第6戦SUGOで2位表彰台獲得と徐々に復調。1989年レギュレーション改正により改造範囲が厳しく制限されたことを受け、メーカーワークスチームがF3クラスから軒並み撤退となり、山本の参戦クラスは1989年よりTT-F1に転向となった[11]。
レース戦歴
[編集]全日本ロードレース選手権
[編集]年 | チーム | マシン | 区分 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979年 | 鈴鹿レーシングチーム | ホンダ・RS125R | ノービス | 125cc | TSU |
TSU |
SUZ 1 |
TSU 4 |
SUZ 9 |
SUG 3 |
TSU 7 |
SUZ 1 |
2位 | 55 (57) | |||||
1980年 | ホンダ・RS125R | ジュニア | TSU 8 |
SUZ 1 |
SUG 6 |
SUZ 1 |
TSU |
SUZ 1 |
TSU 6 |
SUG 1 |
TSU 3 |
SUZ 1 |
1位 | 88 (101) | |||||
1981年 | ホンダ・RS125R | 国際A級 | TSU |
SUZ |
TSU 2 |
SUZ |
SUG 6 |
SUZ 2 |
TSU 2 |
SUG 3 |
SUZ 2 |
4位 | 56 | ||||||
1982年 | ホンダ・RS125R | SUZ 2 |
TSU 5 |
SUZ 3 |
SUG 1 |
SUZ 3 |
TSU |
TSU |
SUG |
SUZ 2 |
3位 | 68 | |||||||
1983年 | ホンダ・RS125R | TSU 2 |
SUZ |
TSU 4 |
SUG 4 |
SUZ 2 |
TSU 2 |
SUG 2 |
SUZ 1 |
2位 | 82 | ||||||||
1984年 | ホンダ・RS125R-W | TSU 2 |
SUG 6 |
SUZ 1 |
TSU |
SUG 2 |
SUZ 2 |
TSU |
SUG | SUZ | TSU | 5位 | 81 | ||||||
ホンダ・CBR400F | TT F3 | TSU | SUG | SUZ | TSU | SUG Ret |
SUZ 1 |
TSU Ret |
SUG 9 |
SUZ 5 |
TSU 9 |
5位 | 59 | ||||||
Team HRC | ホンダ・RS250R | 250cc | TSU | SUG | SUZ | TSU | SUG | SUZ | TSU | SUG | SUZ |
TSU Ret |
NC | 0 | |||||
1985年 | ホンダ・RVF400 | TT F3 | TSU 1 |
SUZ 4 |
TSU 1 |
SUG 2 |
SUZ 1 |
TSU 1 |
SUG 1 |
SUG 1 |
SUZ 1 |
1位 | 170 | ||||||
1986年 | ホンダ・RVF400 | SUG 3 |
SUZ 3 |
TSU 1 |
SUG 1 |
TSU 1 |
TSU 1 |
SUG 1 |
SUZ 1 |
1位 | 150 | ||||||||
1987年 | ホンダ・RVF400 | TSU 1 |
SUZ 1 |
SUG 7 |
SUZ 5 |
SUG 4 |
TSU 8 |
SUG 6 |
SUZ 5 |
TSU 7 |
4位 | 114 | |||||||
1988年 | ホンダ・RVF400 | - | - | SUZ |
NIS |
SUG 2 |
- | - | TSU 5 |
- | SEN |
SUG |
SUG |
TSU 6 |
7位 | 41 | |||
ホンダ・NSR250 | 250cc | SUZ 4 |
TSU 3 |
- | NIS |
- | TSU |
SUZ |
TSU |
SUG |
SEN |
SUG |
SUG |
TSU |
19位 | 28 | |||
1989年 | ホンダ・VFR750R | TT F1 | SUZ |
SUZ 15 |
TSU |
SUZ 15 |
SUG |
SUZ |
SUG |
TSU |
28位 | 2 |
ロードレース世界選手権
[編集]年 | チーム | クラス | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988年 | Team HRC | 250cc | ホンダ・NSR250 | JPN 14 |
USA | ESP | EXP | NAC | GER | AUT | HOL | BEL | YUG | FRA | GBR | SWE | CZE | BRA | 45位 | 2 |
鈴鹿8時間耐久ロードレース
[編集]年 | チーム | ペアライダー | 車番 | マシン | 予選順位 | 決勝順位 | 周回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 鈴鹿レーシング | 荒木利春 | 35 | ホンダ | 23位 | Ret | 47 |
1983 | 冨田英志 | 38 | ホンダ・RS1000 | 12位 | 8位 | 183 | |
1984 | 冨田英志 | 32 | ホンダ・VF750F | 15位 | Ret | 122 | |
1988 | チームCBX | 黒川武彦 | 96 | ホンダ・CBR600 | DNS | -- | |
1990 | すてぷれYO-1 & 東芝 | 徳野政樹 | 54 | モリワキ=ホンダ・Zero-VX7 | 55位 | 43位 | 177 |
1991 | YO-1 & 東芝 | 藤沢孝親 | 99 | ホンダ・VFR750R | 40位 | 30位 | 165 |
- 1988年はエントリーしていたが、ペアを組む黒川が39号車三浦昇の代役に組替えられたため欠場。
脚注
[編集]- ^ Data File F3 山本陽一『サイクルワールド11月号増刊 GRAND PRIX SCENE 1985』CBS・ソニー出版 1985年11月5日 187頁
- ^ 歴代チャンピオン MFJスーパーバイク.jp
- ^ 試行錯誤から始まったOV号のルーツ・本田技研鈴鹿製作所の社内チーム・鈴鹿レーシング OVER Racing
- ^ 「F3 ホンダRVF400を見事にチャンピオンマシンに導いた山本陽一」『サイクルワールド11月号増刊 GRAND PRIX SCENE 1985』CBS・ソニー出版 1985年11月5日 160-161頁
- ^ レースの歴史1985 ヨシムラジャパン公式サイト
- ^ 「全日本RR 国際A級 TT F-3」『サイクルワールド11月号増刊 GRAND PRIX SCENE 1986』CBS・ソニー出版 1986年11月20日 190頁
- ^ VFR400R山本陽一カラー 本田技研工業 1986年7月18日
- ^ 国際A級 TT F-3 山本陽一『サイクルワールド12月号増刊 GRAND PRIX SCENE 1987』CBS・ソニー出版 1987年12月29日 180頁
- ^ 全日本ロードレース選手権鈴鹿 TT F-3 混戦を制し塩森初優勝『グランプリ・イラストレイテッド No.23』 ヴェガ・インターナショナル 1987年8月1日 95頁
- ^ 高速バトルと日本人ライダーの台頭・1988年3月27日 世界選手権第1戦・第7回日本GP結果 HONDA 1989年3月
- ^ 「特集'89シーズンのレース展望 TT-F3クラス」 『MFJライディング No.231 3月号』1989年3月1日 28頁
タイトル | ||
---|---|---|
先代 江崎正 |
全日本選手権TT-F3 チャンピオン 1985 - 1986 |
次代 田口益充 |