山移定政
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山移 定政(やまうつり さだまさ、慶応2年7月11日[1](1866年8月20日) - 大正11年(1922年)5月21日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会)。弁護士。
経歴
[編集]熊本藩士山移定之の子として熊本城下に生まれる[3]。1891年(明治24年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業[3]。その後熊本に帰って、九州学院医学部の理事兼法学教師を務めた[3]。1894年(明治27年)、日清戦争が勃発すると陸軍通訳官として従軍した[3]。翌年、台湾総督府文官として渡台し、台南県通訳、台中県弁務署主記を務めた[3][4]。1899年(明治32年)より台中地方法院所属弁護士となり、のちに同弁護士会長に選ばれた[3]。また台湾新聞社社長、海南製粉株式会社取締役、台中製糖株式会社取締役、日本拓殖株式会社[1]取締役を務めた[4]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 成瀬麟・土屋周太郎編『大日本人物誌 現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 『衆議院要覧 下巻 大正九年六月』衆議院事務局、1920年。